2016-02-28

ピースボートの旅2016年2月21日~28日まで

2016年2月21(日)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
朝6時に最南端の灯台と十字架を見ましたが、朝早いために写真に写すほどの景色にはなりませんでした。日本の家族とラインを使ってテレビ電話を楽しみました。南の端の夏と12時間前の日本の冬の気温が同じくらいでした。不思議なものです。朝7:30頃日本の家族と連絡を取って、その後は氷河軍の中を通りました。7階のデッキを解放していただきましたが、とても寒く長時間は観覧できないほどでした。しかし①オランダ氷河②イタリア氷河③フランス氷河④ドイツ氷河⑤ロマンチェ氷河と案内があるたびに、カメラを持ってデッキに飛び出し写真を写しまくりました。幸運なことにちょうど見えるころに天候が回復し、見る角度が悪くなると曇り空になるという観光には適した天候になりました。

2016年2月22日(月)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
この日も朝から氷河鑑賞の日となりました。この海峡で一番大きく壮大な「ピオ11世」氷河を見るためにわざわざ、行き止まりの水路に入りそこで記念写真をを取るというものでした。今回のクルーズの記念イベントとして言われるとおり、その規模やスケールは壮大なものでした。朝8時ころから案内が入り、船はピオ11世氷河の前で旋回し、船尾を氷河に向け船尾デッキに集まったメンバーのバックに氷河がみられるという演出がなされました。今回も、ところどころ曇り空でしたが、氷河の前に着くと晴天となり見事な氷河観察と記念写真会となりました。幸運に恵まれたピースボートのメンバーとなりました。

2016年2月23日(火)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
バテリアの練習が始まりました。希望としては大太鼓のスルドという楽器ですが、意外と希望者が多くポジション争いが激しくなりそうです。しかし何とか希望者全員が練習さんかして少しでも発表会に出られるように工夫したいものです。音楽祭では、20分間ぐらいの持ち時間のようですが、サンバカーニバルで作曲したビバサンバともう一曲、マルゲリーダを演奏する予定です。サンバ教室のマーク先生にも話をして、楽曲と踊りの応援をいただこうと思っています。船はパタゴニアのフイヨルドを抜け太平洋側に出ましたが、波が高くまたフイヨルドの水路に戻りよく日太平洋側に出ることとなりました。船内では朝の太極拳やヨガ・サンバエクササイズも揺れのため中止となりました。午後から幾分揺れが収まってきましたが太平洋側の寒流のためか、温度が上がらず寒い一日でした。しかし世界で一番大きな鳥といわれているワンダリング・アルバトロス(わたりアホウドリ)が数羽、船の周りを旋回して乗船員の目を楽しませてくれました。羽を伸ばすと3メートルを超す鳥が船の横やすぐ頭上を飛ぶと、デッキに居合わせた人たちが歓声を上げるほどでした。大急ぎでカメラを持って、追いかけましたが70枚以上取りましたがキッチリと図鑑に載っているようには写せませんでした。


2016年2月24日(水)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
太平洋に出て北上をしているのですが、相変わらず寒い一日でした。太極拳やヨガ・サンバ教室は予定通りに実施されました。ピースボートの企画で「日本人とはなんだろう」というパネルディスカッション的なものがありました。国籍を2つ持っている方や親の国籍が違う方に加えて、クオーターの方などから、日本人と感じるときなど外国の生活文化を持った方たちから見た日本人の話であった。船内に400名(従業員を含めて)くらいの外国の方がいるわけで、結構国際的な状況になっていると感じます。改めて日本人とはなんだろうと考えると、よい面や悪い面もありますが、一番の決め手は思想・考え方かなと思いました。その後、CCレイチェルさんの「先住民と有色人種目線の米国史」の話をお聞きし、世界的な見地からのものの見方も今後必要な視点かと改めて思い起こしました。一日中、勉強させられる日でした。

2016年2月25日(木)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
朝から涼しげな朝でした。もうすぐバルパライソに着くというのに肌寒く、一日中長袖のトレーニングウエアを着たままの一日で、ヨガやサンバエクササイズの教室に加えて、バテリア練習とフォークダンスと忙しい日となりました。明日、バルパライソに到着とのことでチリへの入国書類を受け取り、記入しておくようにと指示がありました。入国書類とは、自分以外の人の荷物を持っているか?動植物の所持品はあるか?自分以外の人の申請もするか?1000ドル以上の米貨を持っているか?の4項目ですが、特に植物の持ち込みには厳しいようでした。実際には15;00頃にはバルパライソの港の沖合に到着して、チリの監査員が船ごと検査をして翌日の朝8時に入港するとのことでした。沖合に停泊している間に海を眺めていると、オットセイが現れ船に沿って踊るように浮き沈みを繰り返していました。同室の鳥博士も様々な鳥が現れたといって興奮していました。
特にペルーペリカンや南セグロカモメなど1.5メーター級の鳥も現れて大喜びでした。また、アザラシやクジラの潮吹きを見た人がいるとのことで、海の観察者は大喜びでした。

2016年2月26日(金)バルパライソ
朝8:00に入港しました。朝の6時ころから港に入ってきたので街の明かりがとてもきれいで、多くの乗船員が夜景?に見とれていました。スペイン語で「天使の谷間」と呼ばれるところで、述べる文学賞を得たラルフネーダーの別荘が丘の上に立っている町でした。私は、首都サンディアゴの観光のツアーを選びました。アジェンデ大統領が軍事クーデターで政権を奪われその場で自殺したといわれる「モネダ宮殿」とアジェンデ大統領の銅像の前で記念写真を撮りました。圧倒的な支持を得ていたアジェンデ大統領ですが、アメリカのCIAとチリの軍部が手を組みアジェンデ大統領のいる宮殿を爆撃し自殺に追い込み、その後の軍事政権の横暴は現代もチリの歴史の汚点として語られているとのことです。現在、軍事政権は終了してはいますが、いつまた軍事政権に戻ってしまうのかの不安は国民に大きな重しとなっているようです。その後、丘の上にあるマリア像を見に行きました。ブラジルにもキリストの大きな像がゴルコダの丘の上にありましたが、サンディアゴではマリア像がサンクリストバルの丘の上にそびえたっていました。キリスト教を普及するために街を見下ろす丘の上にイエスキリストやマリア像に立てるのは征服者の象徴のようで私的には好みませんが、この国の歴史の一つと思いました。その丘に登るのはフニクラ(FUNICULAR)というケーブルカーで、日本のフニクラという歌との関係を考えてみましたが、あれはイタリアの歌だとわかりなお疑問が増えてしまいました。昼食は海鮮料理ということで市場の中のレストランに入りました。タラに似た白身魚のスープと焼き魚は美味しかったのですが、タラバガニのゆでたてが出ましたが、日本で食べたタラバガニの味の方がこくがあってよかったような気がしました。



2016年2月27日(土)バルパライソ~イースター島へ
寄港地翌日でしたが、太極拳が船揺れが激しいために中止になった以外は、ヨガ教室もサンバ教室も通常に行われました。バテリア練習はミーティングだけで実際の練習は行いませんでした。ミーティングではチームリーダーにCCの沼田夏奈さんがパートリーダースルドにVIKEYとAMEYが、パーカッションに近藤夏子さんがなりました。指揮者のようなものに安藤あゆみさんがなり練習の日程確保の担当に希望して当番に加わりました。これから毎日練習が始まるので結構忙しくなりそうです。明日は朝8:00~家に連絡する予定です。日本は夕刻の20:00の頃です。

2016年2月28日(日)バルパライソ~イースター島へ(3月3日)

朝8:00に家とテレビ電話をしました。明日から13時間の時差となるようです。気温はようやく上昇してきたようで、今後は長袖のシャツは必要なさそうです。船内の衣料品のクリーニングは60センチ×40センチの袋に30アイテムを限度に詰め込んで、1回350円というシステムです。寝間着からトレーニングウエア・ジーンズ・長袖の袖付シャツやパーカーなどの上着やアンダーシャツやパンツ、靴下まで入れても十分にあまるほどです。週1回程度出すのですが翌日には仕上がってきますので、自分で洗濯する必要はまったくありません。とても便利です。モーニングコーヒーとパン・朝食・昼食・アフタヌーンティ・夕食と一日5食となっていて、運動をきちんとやらないと太ってしまう状況です。体重計を持ち込んで当初は量っていたのですが、船が揺れると測定が不能となり、計測できない日が続いたため現在は、体重測定は中止しています。体のキレ状況からすると若干太った気はしますが、日本に着く前には調整したいと考えています。結構イベントが多くなり、物好きな私としてはどこにでも顔を出してしまうので、忙しい毎日となっています。

2016-02-21

2016年2月19(金)ウイシュアイア(最南端の都市)~20まで

2016年2月19(金)ウイシュアイア(最南端の都市)
アルゼンチンのウイシュアイア(最南端の都市)につきました。地球の果て号という汽車や記念品が多くありました。久しぶりにジャパングレイスのツアーに申し込みました。博物館とアサード(焼肉)とトレッキングがセットになっていました。朝から小雨が降っていましたので心配しましたが、博物館見学と焼き肉の昼食までは晴れていましたが、トレッキングで歩く寸前から雨が降り出し雨がっぱを着ながらのトレッキングになりました。アサードはマトンとのことでジンギスカンをイメージしていましたが、全く違う食べ物でした。どちらかというとリブステーキの柔らかい肉部分でした。とてもおいしい食べ物に感激して、ワインを少し飲みました。<おかげでしっかり翌日まで二日酔いになりました。> トレッキングは氷河の下の森林限界のところまで歩いて行こうというもので、なぜか屋久島の森を連想させるところでした。ところどころビーバーが作ったダムや穴があり、ウシュアイアは晩夏というのにとても寒いところでした。下山して、街に出ると船のメンバーで町はあふれかえっていました。何か、北海道の観光地にいるような錯覚になりましたが、物価が高くカニ料理を食べた方は一人当たり8000円近い夕食代になったようでした。記念に南極が上になった地図を購入しました。地図はいつもきたが上になっているのですが、南が上になった地図も楽しいものです。



2016年2月20(土)ウイシュアイア~バルパライソ(チリ)
普通の船内企画は全くなくて、パタゴニア・フイヨルドを見る一日でした。7階の船首は普段は閉鎖されていますが、この日から解放されてピーグル水道(マゼラン海峡へ続く海峡)を見学しましたが、冷たい風と時折表れる水しぶきで、とても長時間は耐えられない場所でした。前日のワインの二日酔いがありましたが、酔いさましに①オランダ氷河②イタリア氷河③フランス氷河④ドイツ氷河⑤ロマンチェ氷河をしっかり見ることが出来ました。ドイツ氷河やロマンチェ氷河は見るものを圧倒していました。なんだかすごい迫力に笑顔が出てしまいました。夕方にサンバフェステバルの時のバテリア(太鼓・打楽器隊)の集合があり、3月15日前後の音楽祭に出場しようとの話があり23日から練習を始めるとのことでした。残すは、チリのバルパライソ・イースター島、タヒチ(パヘーテ)、ボラボラ島、マーシャル諸島のマジュロと5か所の寄港地となり、終盤の感じがしてきています。音楽祭や体育祭、最終発表会やお別れ会など船上の企画が忙しくなりそうです。

2016年2月21(日)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)

朝6時に最南端の灯台と十字架を見ましたが、朝早いために写真に写すほどの景色にはなりませんでした。日本の家族とラインを使ってテレビ電話を楽しみました。南の端の夏と12時間前の日本の冬の気温が同じくらいでした。不思議なものです。

2016-02-19

2016年2月14(日)アルゼンチン・ブエノスアイレス~ウシュアイアに向けて18日まで

2016年2月14(日)アルゼンチン・ブエノスアイレス
 昨日のモンテビデオの対岸の街が、チリのブエノスアイレスとなっている。マゼランがマゼラン海峡を発見する前に、間違って入り込んでしまったラプラタ川を挟んでウルガイとチリに分かれている。船からどちらを見ても水面しか見えなく、対岸が見えないほどですから川とは思えない大きさの河口でした。しかし、夜にモンティビデオを出港して朝には隣国の都市ブエノスアイレスとなっていました。同じスペイン語圏の国なので通貨はペソですが、ウルガイは1ペソが4円程度でしたが、チリでは1ペソが8円程度となっていました。共通して、街に教会が多くいつも自由に出入りが出来、休憩するにはちょうど良い施設となっていました。また、肉も多くモンティビデオのように肉の塊を昼食で提供していました。ガパ地区はアルゼンチンタンゴの発祥の地といわれているらしくタンゴショーとレストランが一緒になっていました。通りには環境客向けの踊り子が男性用・女性用といて、500円程度で濃厚なポーズで絡み合ったダンスの写真を写すことが出来るようです。ピースボートのメンバーもかなり感動したようでした。





2016年2月15(月)アルゼンチン・ブエノスアイレスから最南端の都市ウシュアイアに向けて
ラプラタ川から再度、大西洋側に戻って最南端の都市ウシュアイアに向けての航海が始まりました。ラプラタ川を東に向かって進み、河口から右に旋回し南西に向かいました。海水温度がどんどん下がり始めてきたようで、濃霧が発生し風が冷たくなってきました。この日はバレンタインデイが寄港地となったため改めて、フォーマル衣装での夕食会となりました。久しぶりにワイシャツとネクタイのスーツ姿になってみましたが、結構楽しいものでした。ちなみにチョコレートお菓子などは数名からいただくことが出来ました。ラッキー!

2016年2月16(火)アルゼンチン・ウシュアイアに向けて
やっと太極拳・ヨガ・サンバストレッチの日常が戻ってきました。しかし、オーバーステイという船から離れて、南極やイグアスの滝をチリ側から見るコースなどと、離船される方が多くなってきて約200名近くは不在となっているようです。おかげで、ヨガ教室やサンバ教室もゆとりが出来てのびのびと動き回れるようです。しかしながらどんどんと海水温が下がってきているようで、濃霧の中、鳥も魚も見えない状況となってきました。船から離れる方から早く食事のできる会員証を25日までお借りしたので、和食を食べた後通常の時間には洋食と2回の夕食をいただくことになりました。どちらもおいしいので、つい食べ過ぎになりそうです。

2016年2月17(水)アルゼンチン・ウシュアイアに向けて
航路説明会ではないのですが、ジャパングレイスの狭間事務局長からウシュアイア(パタゴニア・フィヨルド)の説明がありました。この地は氷山によって削り取られた入り江になっていて、ウシュアイアは世界で一番南の端にある都市といわれているようです。イギリス領のフォークランドの対岸になるマゼラン海峡を入っていく都市となっていますが、アルゼンチンの南の果ての都市といわれています。19日には到着しますが、地の果て号という列車や地の果てのモニュメントなど豊富にあるということでした。実は、それより若干南側にチリの街があるようですが、そこは最南端の町と言っているようです。どちらでもよい気はしますが、大きな問題のようです。
話は変わりますが、17日の朝800頃にクジラの大群が船の横を通過しました。残念なことに朝の8時は食事をしていたので、遭遇しませんでしたが10時ころから再度出現して、3頭のクジラを見ることが出来ました。背びれと背中が大きく出た後、大きく潮を吹いたのでクジラと確信しました。サンバのマーク先生も2回ほど見たとのことで、大感激をしていました。

2016年2月18(木)アルゼンチン・ウシュアイアに向けて

太極拳・ヨガまでは通常でしたが、月一回の避難訓練のためサンバ教室は午後の一回にフォークダンスは中止となってしまいました。明日から寄港地が2日間になるので次の教室は22日からとなるとのことでした。今日の午後はアホウドリとクジラの観察にいそしみます。

2016-02-14

PEACE BOATの旅 5(2016/02/10から)

2016年2月10(水)リオディジャネーロ~モンティビデオにむけて1
前日の夜にリオディジャネーロを出港して、一路 ウルグアイのモンティビデオに向かいました。ゆったりデイということで、朝から晩まで映画尽くしでした。23本目で飽きてしまい本当にゆったりの時間でした。

2016年2月11(木)リオディジャネーロ~モンティビデオにむけて2
朝からいつものヨガとサンバ教室の予定でしたが、サンバ教室はお休みになっていました。しかし、夕刻に教室の先生(マーク朋子さん)にお会いしたので、サンパウロで購入したサンバミュージックのGDを彼女に好きなものをPCに取り込んだ後、返してもらうことにしました。普段の生活に戻りながら、鳥博士と海を眺めていると、通称 ゴリさんと呼ばれている方が、刺繍のエンブレムをくれました。名詞と交換ということで、他の女性にも紹介したかったのですが、本人と会うチャンスがない方は難しいようです。朝5時ころに会議室で眠っていた女性が14日に船を降りるということでした。215日からの決算に向けて帰るために、約半分の日程で下船するので、エンブレムをもらえるように勧めたのですが、やはりうまくタイミングが合わず駄目のようでした。
ゴリさんも14日で下船して、バスでチリのパルパライソ26日で合流するとのことでした。結構旅慣れている人が多く思い思いに船旅を楽しんでいるようです。

2016年2月12(金)リオディジャネーロ~モンティビデオにむけて3
久しぶりに、太極拳・ヨガ・サンバエクササイズ・フォークダンスと体を動かす一日でした。加えて、茨城県人会の第2回目が開催され終わる間際に参加しました。あわただしい中で、海を見ているとジャパングレイスの鍋山氏よりお見舞いをいただきました。また、今後の運営についても改善策が見られたので、十分な対応と考えました。翌日からのモンティビデオ入港に合わせて、航路説明会が開らかれ、自分の給料の9割近くを寄付していた前大統領の国連での報告なども紹介されました。スペインの影響を受けた国になってきました。

2016年2月13(土)ウルグアイ・モンティビデオ
朝から雨が降っていました。日本を出港して以来59日目になりますが、朝から雨が降っているのは初めての体験となりました。半袖にジーパン、網のチョッキに折り畳みの傘のいでたちで、街に出かけました。4キロ四方の街でしたので、朝から歩き回りました。1812年ころからスペインの植民地だったようで町並みは教会を中心に碁盤の目に区画整理されとてもきれいな街となっていました。独立広場や市場に行きましたが、物価が高く昼食も一人2000円近くになっていました。肉料理が有名で、肉の盛り合わせを2人前頼んで3名で食べました。






2016-02-09

2016年2月6(土)リオディジャネーロ入港1日目~2月9日入港4日目出港まで

2016年2月6(土)リオディジャネーロ入港1日目
リオディジャネーロにつきました。78日とサンパウロに行くことにしたので、バスのチケットを購入することとリオの市内観光をしました。バスは往復5000円程度でした、それから貧民街の食堂や植物園を見て、海岸線を観光しました。
夜から2100~翌日400までカーニバルを観戦しました。年中常設の観覧席から審査委員席が見えるところに席が設けられていました。コンクリートの座席の上に薄いスポンジ状の座布団を使って座るのですが、2時間も座るとお尻が痛くなってきて、リズムもよいので、踊りだす人が続出していました。

2016年2月7(日)リオディジャネーロ入港2日目
朝帰りですが、夜行バスでサンパウロに行くことにしたので、長距離バスのターミナルまで歩くこととしました。結構、寂しいところを通っていくことになりそうなので、夜はタクシーを利用することとしました。あと後、問題になりましたが、愛知県から来たという吉本氏がついていきたいというので、歩いてバス停まで行き切符の手配を協力しました。夕食を一緒にとって出発をシャトルバス停車場のタクシーツアーデスクに決めて、そこでタクシーの手配をしようとのことでしたが、いざ行ってみると、姿がなく同室の須藤氏が心配して船まで戻り、同室の方に聞くとだいぶ前に出発したとのことでした。結局9時過ぎまで待っていましたが、現れなかったので、ツアータクシーに乗って、バスターミナルに向かいました。到着すると、タクシー乗り場にいなかったので、先に歩いてきましたと堂々としていました。悪びれることもなく「よう!と声をかけてきて、いなかったから歩いてきたと、自慢そうに語っていました」。同室の友人は、憤慨して謝罪を求めましたが、いなかったので歩いてきたと、何の反省もなく言い訳ばかりをしていました。あまりにもひどい対応でしたので、その後の交流を断ち切ることにしました。結局、行も帰りも同じバスになりましたが、顔を合わせても挨拶もしない関係となりました。

2016年2月8(月)リオディジャネーロ入港3日目
朝の6時ころにサンパウロのバスターミナルに到着しました。行のバスで知り合った群馬県の太田市に3年ほど暮らしたことのある若者に、地下鉄の乗り方を教わり、そこで別れましたが、若い人たちのほうが、よほどにきちんとしているものと思いました。
サンパウロのリベジダールという日本人街に着くと、ピースボートの若者が2人で歩き回っていたので、若干の情報交換をしました。リベルタージの町では移民一世の方にもお会いし、2世、3世の方とも交流が出来ました。また、日本人街だけあって、日本町の屋根や鳥居そして三つ巴のコンクリートの道路敷きやちょうちんや鴨居のような歩行者交通信号など、日本人街らしくなっていました。バスで一緒だった3世の若者は、「あの地域は下町だから、気を付けるように!」との連絡もいただきました。さまざまな記念館はカーニバルの関係でお休みしている施設ばかりで、その意味の歴史的建造物の観光とはなりませんでした。しかし、ここに住む日系の方々は右も左もわからない土地に来て、よそ者扱いから苦しい時代を経て何とかに日本人・ブラジル人として生きてこられたわけで、何とかこの地に住み着いた移民の皆さんのご苦労に、心より敬意の念を表したいと思います。
28日の深夜2330分のバスに乗り、周りを見ると非常識な老人とピースボートの若者も同じバスで帰船しましたが、他のバスでも56人深夜バスを使ってサンパウロに来ていたようでした。

2016年2月9(月)リオディジャネーロ入港4日目
バスの中は快適で、リクライニングがよく効いていてぐっすり眠ることが出来ました。シャトルバスの入り口で、WI・FIが使えるとのことですので、ゆっくり時間を取ってFBの友人と更新したいと思います。ブログの送信は、無理のようでしたのでこちらはいつもの有料WI・FIを使って送りたいと考えています。しばらくぶりのブログの更新になります。






PEACE BOATの旅 4(2016/01/27から)

2016年1月27日(水)ナミビアの観光
ナミビアについてツアーの内容が町に行くだけで7000円とのことで、驚いてしまい自由行動をすることになりました。ツアーデスク前で、自由行動をする方たちと合流して、船を降りてすぐにタクシーとの価格交渉となり一人35ドルで7時間の貸切タクシーとなりました。ツアー企画と同じコースを回りながら3000年生きる草や猿の惑星でロケがあったという月面着陸地点の砂丘など約30パーセント程度の費用で済みました。写真は前回添付したのでそちらを参照ください。
夜中に出港リオデジャネーロ(26日)に向けての航海しました。


2016年1月28日(木) リオディジャネーロに向けての航海1
この日はピースボート事務局もジャパングレイスもお休みの日でした。まったく何にもない一日でした。朝からデッキに出て、ただただ海を眺めていました。トビウオが時々船に驚いて飛び去っていきますが、鳥もイルカもクジラもまったく姿を見せない一日でした。

2016年1月29日(金) リオディジャネーロに向けての航海2
 太極拳やヨガ、サンバストレッチなどいつものメニューが戻ってきました。加えて、この船(オーシャンドリーム号)の操縦室見学企画されましたので、さっそくに7人のチームで見学しました。
ジャパングレイスの狭間事務局長から丁寧な説明の後、操縦室で航海士の方々と記念写真を撮りました。24日に船内サンバカーニバルが開催されるので、楽器隊かダンシングチーム隊に加わる予定です。

2016年1月30日(土) リオディジャネーロに向けての航海3
 リオディジャネーロは26日に入港予定です。26日の夜のカーニバルのツアーに申し込んでいますが、その後の日程はフリーとなりましたので、ナミビアに行ったメンバーとタクシーチャーター計画を立てています。メインはカーニバルですがゴルコダの丘のキリスト像や博物館なども観光地となっているようです。詳しい方にお聞きして研究しようかと思っています。
 サンバカーニバルのダンシングチームに入れてもらいました。夜8時から練習となるようで若干寝不足が心配です。明日は、ラインで家族に連絡を取る予定です。時差が8時間となりましたので、日本時間の夜7:00が船では朝の11時となっています。うまくタイミングが合うとよいのですが、1002100円の通信料がかかるので、付けっぱなしにはできないのです。すぐに10分程度は過ぎてしまいます。

2016年1月31日(日) リオディジャネーロに向けての航海4
 久しぶりの日本への連絡、ラインのビデオを使って顔も見られました。日本時間の6時ころからかけていましたがなかなか繋がらず、やっと8時近くになって連絡が取れました。家内も息子もいたって元気そうでした。来週は日本時間の8時ころに電話することにしました。リオディジャネーロは12時間の時差となるので、こちらからは朝の8時ころに電話することにしました。
船内では、サンバカーニバルに向けてチームごとの練習が始まりました。しばらくは遅寝早起きの毎日になりそうです。


2016年2月1日(月) リオディジャネーロに向けての航海5
昨日、洋上サンバカーニバルの応援隊の練習時に、フランシス・シルビアさんからスルド(大太鼓)のたたき方の練習をさせてもらいました。安藤 歩さんというCCの方が素晴らしく格好よくドラムを叩いていたので、大太鼓を少したたいていると、なんだか楽しくなってきてもっとやってみたいと思っていました。でもパーカッションとかドラムやその他の楽器になるとなんだかリズムが外れているような気がしてパーカッションチームには辞退していました。ところが音楽隊とダンシングチームの合同練習になった時に、安藤あゆみさんから声をかけられて、ソドムの補欠というかメンバーが疲れた時の交代要員として、バテリアチームに入れていいただきました。
初めての体験でしたので正式メンバーのビッキーさんとエミーさん姉妹そして埼玉のアヒルさんと和太鼓経験者の高村さんすべて女性のバテリアチームの見習いで入れていただきました。シルビアさんの合図がわからなかったり、途中でリズムがズレるとビッキーさんが腕を抑えて、合図をしていただき、何とか皆さんについていけるようになりました。

2016年2月2日(火)リオディジャネーロに向けての航海6
 洋上サンバカーニバルの練習が頻繁になり、さらに「VIVA SANBA90」ココロをひとつに繋ぐ旅-という楽曲が出来上がり、それに合わせてパーカッションチームやバテリアチームの合同練習が始まりました。ただ、あまり遅くまで練習が出来ないのと、さまさまなところがあざだらけになることがわかってきました。本格的に練習が始まってきたことで、他の講演会やフォークダンスのサークルは欠席させていただきました。

2016年2月3月(水)リオディジャネーロに向けての航海7
 洋上サンバカーニバルを翌日に控え、1500頃から全体リハーサルが始まりました。服装はまだ決めてはいませんでしたが、ダンシングチーム・バンド合唱チーム・パーカッション バテリアチームの一斉全体リハーサルとなりました。踊りの隊列の組み方、バンドと合唱隊の音合わせからパーカッションバテリア地無との音合わせなど、2時間半にわたりリハーサルが行われました。
 シルビアさんの監修のもと、何回も繰り返し練習を重ねました。リハーサルから急に取り入れたバテリアのソロプレイなど、ついていくのがやっとの思いもありましたが、何とか始まりと終わりのタイミングがわかるようになってきました。

2016年2月4(木)リオディジャネーロに向けての航海8




 いよいよ 洋上サンバカーニバル当日、あゆみさんの提案で朝800900の間にブロードウエイというホールで最終の練習をしました。和太鼓経験者の高村さんからスナップを聞かせて打つこと教えてもらい、腕の筋肉痛は収まってきました。昼間は、リオデジャネーロに着く前の航路説明会が開かれ、リオのカーニバルを目指して世界各国から12の客船が同じ港に入港するとのことで、日本の飛鳥2も来るとのことでした。その中で一番小さな船がわがオーシャンドリーム号とのことで、この期間の観光客はピークを迎えるとのことでした。そんな準備をする中、洋上サンバカーニバルの本番は夕刻の830開演ですが、その前にパーカッションチームなどとの調整があり7時ころから叩くことになりました。楽器を9階に運んでセットすると、次第に雰囲気も高まりダンシングチームが入場するころには、すっかり盛り上がってきていました。リハーサルで覚えたばかりのバテリアチームのデモンストレーションも何とかこなし、実は1回間違えましたが、ビッキーさんとアヒルさんのホローで何とか中断することはなかったようです。あとは体力に任せ打ち続けるばかりでしたが、終わった時には心地よい疲労感がと何かを成し遂げたような気持ちとなりました。とても素晴らしい体験をさせていただきました、ココロをひとつに繋ぐ旅の大きな一歩となりました。みなさんありがとうございました。
2016年2月5(金)リオディジャネーロに向けての航海9
 前日の洋上サンバカーニバルの余韻が覚めないまま、朝のヨガ教室、サンバエクササイズに参加しました。リオディジャネーロの治安上の警告が多く、サンパウロに行こうとしていますが、断念する人も出てきています。フランシス・シルビアさんとマーク朋子さんのサインをTシャツに書いてもらおうと待っていましたら、21:00より打ち上げ会を行うとのことで、そこに参加して書いてもらおうかと思っています。長年、サラリーマンとして働いてきて自分の人生はもう終わりだなと思っていましたが、なんだか今回の体験を通して、自分も他人も もっと好きになることが出来るようになりました。心が解放されてきたような思いがしました。大切な宝物になりました。ありがとうございます