2012-08-20

8月20日の朝

お盆明けの月曜日、朝の散歩も連続してひと月以上になった、雨降りが少なかったこともあるが
散歩から戻ると雨が降ったり、途中で降ったりで、出かけるときは降っていないのが、この連続記録の内容となっている。先週末頃からお墓巡りが続き、その他の時間はレンタルビデオを借りて、鑑賞会が続いた。学校Ⅳ(15歳)<山田洋次監督>は、東京に住む中学3年の男の子が家出をして、鹿児島県の屋久島に行くというもので、風景を含めて家内と懐かしく見ました。その他は、「北の国から」の24話と、スペシャル版 83年冬・84年夏・87年「初恋」・89年「帰郷」・92年「巣立ち」・95年「秘密」・98年「時代」・2002年「遺言」の総計約50時間分を鑑賞しました。
駐車場の横

花の数も多くなった

蛇沼公園の百日紅


白い花の百日紅
長山団地の百日紅
家内と私は舞台となった富良野よりもっと田舎の名寄というところで、高校生までを過ごしたこともあって、望郷の思いと1981年当時を思い起こし感動していました。数年に一度は、このドラマを見て、思い出に浸っています。今朝は、朝顔と百日紅の写真を添えます。

2012-08-14

牛久霊園のお墓

今日は、潮見家の墓参りを家族4名で行った。
このお墓は、私の父がなくなった昭和63年(平成元年)に建立し、その3年前になくなった母の遺骨と一緒に埋葬してある。
 その後姉が2000年に北海道で、独身のまま
亡くなったので、両親と姉が入っている。私は4人兄弟でしたので、2000年には両親と姉を失って、身内は我が家の4名だけとなっている。
 
私の兄弟は少くそして、今は姉もなくなっている
こ現在の我が家は、男2名の兄弟であるが、今後、嫁や配偶者の親族、など関係が広がると、お互いの関係がどうなることやら、色々と考えさせられました。




2012-08-12

蛇沼公園(龍ケ崎市)

我が家のある牛久市の隣は、龍ケ崎市という古くからの街で、その龍ケ崎市の市街に行くには、
牛久駅より、常磐線の上野寄りにある佐貫(さぬき)駅で降りて、関東鉄道竜ヶ崎線に乗り換えて、
行くこととなる。街並みは、昭和の時代は結構、繁華街もあったようであるが、今はシャッター通りとなっている。街の中心部は、道幅も狭くかと言って、歩く人も少ないので、閑散としている。市の中心部をドーナツ状に住宅が広がって、郊外に「流通経済大学」や大型のショッピング街が取り囲むように住宅街に隣接している。旧水戸街道に沿っていたためか、古い寺や石碑が多く、歴史を感じる街である。郊外の住宅街は、牛久より後に開発された関係で年齢層は10年くらいは若く、バブル崩壊後に広くて安い物件として、売りだされたようである。蛇沼公園は牛久市との境にある公園で、
龍ケ崎の新興住宅街(長山団地)の方々の散歩コースとして、訪問される方が多い。

公園の中心部より沼を見る。
公園の中心部にあるレンガのアーチ






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2012-08-07

土浦公設卸売市場の海鮮丼

数年前に、近所の方から乙戸沼公園の近くに、
土浦市の土浦市公設地方卸売市場」があって、そこでは海鮮丼が
格安でたっぷり食べられるというので、家族揃って出かけました。
実際には、噂になっていたのは、近所にある魚市場で「まぐろ丼」が
500円で、マグロは好きなだけ丼に盛りつけて食べるというものでした。
そこには、2回~3回通いましたが、マグロだけいくらたくさん食べても
あまり満足するものではなく、公設市場の中にある食堂の海鮮丼に
行き着きました。
値段は780円ですが、味噌汁・小出し・漬物、コーヒーもついてくるので、
満足です。特に、ボタンエビの刺身(一匹)が丼の中心に鎮座し、マグロ
・ホタテ・鮭・いくら・タコ・平目・卵焼きなど季節によって、若干魚種は変わりますが、
巨大なボタンエビはいつも、堂々と構えていて、見た目にも豪勢なものです。
熱々のご飯にわさび醤油で

ここは市場の中にある食堂のため、
朝6:00頃~14:00の営業となっていて、市場で働く方のための食堂らしく、一仕事終えて、自宅に買える方のための夕飯のようでした。
私たちは13:00頃に行くのですが、客は少なくいつも閉店間際の客となっています。

親戚や来客があると、いつも紹介しようと思うのですが、夕飯時にはもう閉まってしまうので、一泊していただいた方には、昼食を食べていただいくこともありました。

値段の割には、豪勢な一品です。

2012-08-06

7月26日日本生協連友の会

7月26日(木)神田明神前で、記念写真。潮見が撮影したため写っていないが、私を含めて43名の参加でした。昔人事教育部の部長の川口宏さんも参加されていて、久しぶりにお会いした
が、私は、当時より20キロ以上太っていましたし、川口さんはロングヘアーで、後ろにまとめ口髭も蓄え、まるで陶芸家のような格好でしたので、お互いに思い出すのに苦労する状況でした。
日本生協連友の会7.26神田明神前
写真の右一番手前が川口さんでした。懇親会では、益田美智子さんが川口さんの前に座っていましたが、しきりに目の前の方は、どこのどなたでしょうかと私に訪ねていました。川口さんだと説明したのですが、元人事の川口部長とわかるまでに30分以上はかかっていました。益田さんの旦那は川口部長の時に部下だったはずですので、よほど印象が変わっていたようです。
懇親会では、大田幹事長と梶田副幹事長に「日本生協連友の会HP」作成についての打診をしましたが、以前、中野幹事から提案があって却下したとのことでした。
「岡さんを偲ぶ会」以降に友の会のメンバーで、双方向に通信のできるHPのようなものが欲しいとの話が出たと説明したところ、
次回の幹事会で検討しても良いとの返事をいただきました。中野幹事さまからも、ぜひ挑戦してはどうかの話をいただきました。HPについては、大学生協友の会のホームページが良くできているようでしたので、聞いてみると当初の設定料に20000円程度(HP設定ソフト)かけて、月々の使用料が950円とのことで、大学生協連のサーバーからは独立して、運営しているとのことでした。以前、ギャランテェーの前田社長からアドバイスをいただいていましたが、ブログを活用して友の会員の交流の場を作ることについては、大学生協友の会の大久保事務局長も関心を寄せており、今後はGoogle Bloggerを使った双方向に通信可能な交流広場が役立つのではないかとのコメントをいただきました。当面、次回の幹事会の日程は、多分11月ころかと思われますが、
そこまでに、Google Bloggerを活用した交流の場の提案をしたいと考えています。イメージ的には原田裕子さんがやっておられる、協同研?のようなものを参考にさせていただきたいと思っています。原田さんも友の会会員としてご協力を賜りますようお願い申しあげます。


成井一里塚と若柴公園

先日開発した龍ケ崎方面の散歩コースの途中に、成井一里塚があった。日本橋から水戸街道を北上する中で、日本橋から15番目、水戸街道のスタートの千住から13番目の1里塚とのことである。一里は、約4キロだから日本橋から約60キロ、千住から52キロメータのところとなる。
成井一里塚の看板から約4キロ(一里)ほど、我孫子方向に戻ると、若芝公園に到着、ここにも一里塚があるはずだが、見つからなかった。代わりに若干素人が作ったような少女の彫刻が設置されていた。若芝公園から蛇沼公園に抜けると、「龍ヶ崎市てくてくロード」と言う看板があり、一周4.1キロメータとのことでした。我が家は、牛久市なのですが、歩いて10分もなくて龍ケ崎に入ってしまいます、龍ヶ崎市の長山団地は結構洒落た街づくりとなっている。
これからも、週一のペースで龍ケ崎コースを活用したいと思います。
旧水戸街道の脇は畑、一里塚の看板
若芝公園にあった彫刻
龍ケ崎市の散歩道の紹介

2012-08-02

朝の散歩の新コース

朝の散歩コースは、これまで牛久駅遊歩道コースを始めとして、約90分の5コースがあるが、
隣の龍ケ崎市を訪問する新コースを開発した。新コースのポイントは約40分位歩いたところにトイレがあるかどうかで決まる。今回は、歩いて30分のところに龍ケ崎市立「若柴公園」があり、その先40分目に「蛇沼公園」があった。このあたりは龍ケ崎市「長山団地」に隣接していることもあり、朝の散歩を楽しむ人が多く、公園内にも多くの人がいました。このコースをこれからの主要コースに加え、朝の散歩のマンネリを防ぐこととしたい。
蛇沼公園周辺の遊歩道コース
若柴公園のトイレ
蛇沼公園のトイレ