2016-01-31

ピースボートの旅1月31日まで

2016年1月28日(木) リオディジャネーロに向けての航海1
この日はピースボート事務局もジャパングレイスもお休みの日でした。まったく何にもない一日でした。朝からデッキに出て、ただただ海を眺めていました。トビウオが時々船に驚いて飛び去っていきますが、鳥もイルカもクジラもまったく姿を見せない一日でした。

2016年1月29日(金) リオディジャネーロに向けての航海2
 太極拳やヨガ、サンバストレッチなどいつものメニューが戻ってきました。加えて、この船(オーシャンドリーム号)の操縦室見学企画されましたので、さっそくに7人のチームで見学しました。
ジャパングレイスの狭間事務局長から丁寧な説明の後、操縦室で航海士の方々と記念写真を撮りました。24日に船内サンバカーニバルが開催されるので、楽器隊かダンシングチーム隊に加わる予定です。



2016年1月30日(土) リオディジャネーロに向けての航海3
 リオディジャネーロは26日に入港予定です。26日の夜のカーニバルのツアーに申し込んでいますが、その後の日程はフリーとなりましたので、ナミビアに行ったメンバーとタクシーチャーター計画を立てています。メインはカーニバルですがゴルコダの丘のキリスト像や博物館なども観光地となっているようです。詳しい方にお聞きして研究しようかと思っています。

 サンバカーニバルのダンシングチームに入れてもらいました。夜8時から練習となるようで若干寝不足が心配です。明日は、ラインで家族に連絡を取る予定です。時差が8時間となりましたので、日本時間の夜7:00が船では朝の11時となっています。うまくタイミングが合うとよいのですが、1002100円の通信料がかかるので、付けっぱなしにはできないのです。すぐに10分程度は過ぎてしまいます。

2016-01-28

ピースボートの旅25日~27日ナミビアまで

2016年1月25日(月)ケープタウン~ナミビア1(Swakopmund
  移動期間でした。朝からヨガ教室・サンバ教室2回をこなしました。船から大西洋側の海を眺めているとアザラシが浮かんでいました。しばらく見ているとクジラの背中が見えました。同室の鳥博士は潮を吹いたところを見たのですが、残念ながら背中だけでした。しかし一日に4回も遭遇しました。また、初めてアホウドリを見ることが出来ました。大きさは1メーターぐらいでしたが、鳥博士の認定済みです。さらに、クイーンエリザベス号(豪華客船)とすれ違いました。私たちの乗っているオーシャンドリーム号の3倍はあろうかと思える大きでした。我々がケープタウンを出た後に入れ替わりに入港するようでした。また、ファッションショーが開かれ黒井さんが奥さんが作ったというアイヌ民族衣装を着て、第一番目に登場していました。さすが、黒井さん夫婦!
また、サンバの先生やヨガの先生も衣装を凝らして参加していました。楽しい企画でした。

2016年1月26日(火)ケープタウン~ナミビア2(Swakopmund
船内はブラジルに向けて様々な案内人や音楽家が乗船してきています。カーニバルの研究家やブラジル情勢評論家の作家やブラジル音楽の大家が乗船して、26日の寄港日までブラジルムードを高めていく予定のようです。サンバ教室も特訓を開始して、今まで来なかった人も参加して、リオカーニバル雰囲気を高めています。ブラジルは日本の人口の2倍ですがその面積は20倍とのことで、さまざま比較しても不思議な国のようです。ブラジル音楽というのを聞きましたが、サンバを中心にしてとてもリズミカルな元気の出る音楽でした。前日に引き続きサンバの先生がブラジル音楽に合わせて15分間も踊りまくっていました。そのあと、サンバ特訓教室もやっていましたので大変だったろうと思いました。ご苦労様でした。

2016年1月27日(水)ナミビア(Swakopmund

ツアー企画を選ばなかったので、独自にタクシーを交渉して同室の3名でスワコンプウンドの町まで行くことにしていましたが、レセプションで独自企画を組み人たちと合流しました。ツアー料金だと町まで行って帰るまで7000円とのことでしたが、一人35米ドルで砂漠観光を含めて観光が出来ました。ナミビアは砂漠の町で砂漠は3000年前からあるとのことでした、その中で3000年は生きるという植物や砂漠の谷間などを見ることが出来ました。また、私たちが見て、触ることのできたのは1000年クラスのものでしたが、オスの木とメスの木に分かれていて幹にあたる部分は岩のように固くなっていました。不思議な生き物でした。帰りにはフラミンゴの大群と遭遇しましたが、海岸から遠くなってしまい少し残念でした。ミナビアはウラニュウムの産出国として、注目を集めていますが、観光の途中多くのウラン抽出のための現場を見ることが出来ました。大変な国のようです。








2016-01-24

ピースボートの旅1月20日から24日まで

2016年1月20日(水)モザンピーク~ケープタウンへ1
体調が回復したかと思っていたら、また、水のような下痢が始まってしまいました。あきらめて船内の医務室にいきまいたら同じような病状の方が大勢いて、エホアラで食べたロブスターが原因ではないかと、騒いでいましたが医者はマダカスカルのハエが原因だと騒いでいました。抗生物質を4日分と5時間おきに飲む下痢止めをもらって、さっそく飲み始めました。最初の下痢止めではあまり効果はありませんでしたが、2錠目から効き始めてきて楽になってきました。3錠目でかなり収まりましたが、なんだか便秘になったようにお腹が張ってきました。太極拳やヨガ、サンバの教室はいまいち気乗りがしないのでパスしました。腹の調子が戻りまで寝込むことにしました。

2016年1月21日(木)モザンピーク~ケープタウンへ2
さすがに、腹痛は収まってきましたので朝のヨガ、サンバエクササイズに参加しました。太極拳はちょっと自信を失ったので、もう少しお休みします。朝食にお粥に加えて少しベーコンや野菜炒めのようなものを食べました。医者の話ではしばらくは生野菜や乳製品は避けるようにとのことでしたので、おかゆを2杯とみそ汁を中心にお腹を満たすことにしました。何もすることがなかったので、同室の鳥博士とデッキに行って海鳥を眺めていました。するとケープカツオドリの大群に遭遇しました。約20羽位の編成で群れを成して総勢300羽近くの鳥を見ました。
鳥博士の話ではこの先、アルバトロス(あほうどり)が見られるとのことで楽しみにしています。

2016年1月22日(金)モザンピーク~ケープタウンへ3
明日はケープタウンにつく予定ですが、オプションのキャンセル待ちをしているのですがまったく返事がないので、独自に歩き回らなければならないようです。昨日、ケープカツオドリを見たのでまた見に行きましたが、カツオドリも結構いましたが 待望のクジラを見ることが出来ましたミナミオオハシクジラというものらしく、イルカの背中に似ていたので初めはイルカかと思っていましたが、潮を吹き始めゆったりとローリングしていました。航海中の初に見ることが出来ました。
今日は何かいいことがありそうです。

2016年1月23日(土)・24日(日)ケープタウン
6時にケープタウンのCRUISE TERMINALに着岸しました。ウオーターフロントまで歩いて5分程度ですが、ピースボートの説明では単独行動は避けるようにとの知らせでした。
ともあれ、船が岸壁についた途端、テーブルマウンテンが出迎えてくれました。23日の喜望峰ツアーのキャンセル待ちをしていたのですが、残念なことに満席でツアーには行けませんでした。

仕方なく近くのウオーターフロントで見学をすることとしました。これまでのマダカスカルやモザンビークより発達した大都市でした。船とウォーターフロントのショッピング街を行ったり来たりして十分にきれいなケープタウンを満喫しました。



2016-01-19

ピースボート報告1月13日から19日まで


2016年1月13日(水)レユニオン島からマダカスカルへ移動
12日にレユニオン島を出発して世界で4番目に大きな島のマダカスカルに向かいます。日本の1.6倍の面積の国で人口は1890万人とのことです。一夫多妻の男尊女卑の国で、平均12ドル以下で一家が生活しているとのことです。物価は安いとのことですが私たち旅行者にとっては割高の感じのものが開く、生水や果物は食べないほうが無難とのことです。明日到着するので、予備学習会が開催されました。しかし、太極拳やヨガ、サンバストレッチ、そしてフォークダンスが開催され午前中は運動にフル活動でした。午後からは事前学習でしたが、フォークダンスの先生がインフルエンザで隔離されしまい会場予約などヘルプに回りました。夜になって星座学習会が開かれ、オリオン座と南十字星の場所を確認しました。充実した一日でした。

2016年1月14日(木)マダカスカルへ・エホエラ
朝の6時にエオハラに着岸しました。新しい港とのことで、あまり港としての機能が整っていなく防波堤のような所に、ただ着岸したような感じでした。その港から街には徒歩が難しく?というか徒歩だと物乞いの子供たちに追い掛け回される羽目になりそうでした。朝の1000~旧式のアメリカ映画に出てくるボンネットの飛び出した黄色のバスが迎えに来て、近くの町にまで運んでいただきました。タクシーですと30ドルかかるとのことでしたのでツアーに入って、食事や観光を楽しみました。事前の学習でわかっていましたが、ほとんどの庶民は貧しく特に、子供たちはバスに群がってきて貝殻や木製の彫り物を1ドルと叫びながら売りまくっていました。ナハプア自然保護区の動物は主にキツネザルでその他 大きな亀やカメレオンなどが生息していました。木陰に入ると涼しいのですが、やはり日差しがきつく汗がその場で乾いてしまうほどでした。明日ももう一日観光を入れているのでじっくり楽しみます。

2016年1月15日(金)マダカスカルへ・エホエラ2
730集合で昨日と同じエホアラの「ナハンプアナプアナ保護区」を観光しました。昨日に加えサイデアディ保護区を追加してほぼ同じキツネザルとカメレオンと放射亀を見ました。朝早かったにもかかわらず2か所訪問したので昼過ぎまで保護区の中を歩き回り、暑さと砂ぼこりの中疲れ切ってしまいました。13時過ぎに昼食となったのですが、意外なことにロブスターの大きな半身が2切れと魚、肉料理のほかあげ餃子のようなものなど、結構な料理が出てきました。また、果物はパイナップルやマンゴー、バナナが食べ放題になっていて高級レストランのバイキング状態でした。コークが4,000アリアリ(マダカスカル通貨単位)日本円で約120円でした。食後は体中が砂ぼこりと汗状態で早くシャワーが浴びたい一心で帰船しました。夕食まで写真を取り込み今日の書き込みを終了します。今日の夜、次の寄港地マプト(モザンビーク)に向けて出発です。18日朝到着の予定です。到着するころは日本との時差が7時間近くになる予定です。



2016年1月16日(土)
前日の夕飯あたりから腹痛が激しく、トイレに駆け込むと水のように下痢が始まり朝までに5回ほどトイレに駆け込みました。食欲もなく激しい腹痛に朝食を抜いて白湯を飲みましたが、100円ショップで購入したボトルにお湯を入れた途端変形してしまい、ほんの少ししか白湯を飲むことが出来なくなってしまいました。仕方なく部屋にコップを取りに戻り、何とか白湯を飲むことが出来ました。しかしながら、水のような下痢は止まらず、昼食におかゆを食べただけで夕食はパスすることになりました。何にもする気力がわかなく、ひたすら眠っていました。

2016年1月17日(日)
腹痛は少しは和らぎましたが、相変わらず水のような下痢は止まらず朝食からおかゆ、昼食もおかゆを少しずついただきました。自分だけかと思いきや部屋の4人中3人が同じ症状で、もっとひどい状況でした。一人は船内の病院に駆け込み抗生物質をもらって、何とか収めましたが私ともう一人は正露丸で、挑戦しようとのことで頑張っています。昼間、日本に連絡を取りましたが、昼の一時が日本では夕刻の7時過ぎになっており、これからますます時間差はひどくなるようです。
連絡を終わって、船内の様子を聞くと7割から8割の方が同じような下痢を起こしているようで、エホアラでのツアー先での食事がよくなかったのではないかとの話でした。船から降りずに船内の食事だけをした人だけが、助かったようです。それにしても船内病院に罹った人は1回の診療で17000円とのことでした。集団中毒のようなものなので、企画者側の責任は大きいかと思うのですが、今のところ何の反応もありませんです。本日も大事を取って、朝昼のおかゆだけで夕食は抜きました。

2016年1月18日(月)モザンピーク(マプト)
朝6:00にいよいよアフリカ大陸の東下のモザンピーク停泊しました、久しく船の揺れが厳しくまた、体調もおかしくしていたので体重を量っていませんでしたが、朝4時の体重は58キロになっていました。胃を壊す前は確63キロあったのですが、一気に5キロ近く体重が落ちていました。体調は、夕食を抜いたせいかやっと水のような下痢は収まってきましたが、喉の調子が悪く咳が出てきます。用心のため朝職と昼食をおかゆにして、ほぼ病人食にしました。午後からマプトの市内観光に行きましたが買いたいようなものはなく、ただひたすら買い物好きのおばちゃんのお手伝いをしていました。おかげでナッツの焼き立てをお土産に頂きました。部屋の方に挙げたのですが、まだおなかが痛いとのことで、後日食べるようです。私の体調は回復しましたので、今晩からは通常食に戻します。明日はもう一日マプトとのことで、ショッピングモールに行こうかと思っています。


2016年1月19日(火)モザンピーク(マプト)
昨日、回復したかと思っていたら咳が止まらなくなってしまいました。昼食までお粥にして、単独でマプトの町に出かけました。大きなショッピングセンターがありましたので、持ち運び用の水差しとヴィックスドロップを購入しました。大きなショッピングモールでしたのでWI-FIを試しましたが、残念なことにつながらないことがわかりしぶしぶ船に戻ってきました。
ここでも使いきれなかった紙幣が700メティカイス(モルジブの通貨)も残ってしまいました。次のケープタウンで挑戦してみますが、無理との話でした。


2016-01-12

ピースボート2016年1月12日レユニオン島

2016年1月12日(火)レユニオン島
レユニオン島の小さな村を訪ねるツアーコースに入りました。船は島の東側に着岸し、そこからバスで90分ほどかけてサラージ村に行きました。島全体が奇岩や渓谷で国際自然記念物に指定されるほどに深い渓谷と森林におおわれた島でした。もともとフランスの植民地で砂糖の生産が主産業となっていましたが、1946年にフランスの海外県として格上げされたそうです。この島へはピースボートも初めての寄港でツアー担当者もあまり情報がなく買い物もユーロが中心ですが、ドルも使える状況でした。小さな村はその昔、都会で生活が苦しくなった白人が奥地に入り開墾したことから始まり約300年かけて農業が成立するようになったとのことでした。途中には身震いするほどの渓谷があり標高1200メーター級の山の上から、数段階に分かれての滝が見られるのも圧巻でした。世界でも12位の標高差のある滝のようです。エルブール村で昼食をいただきましたが、

サポット(SAPOTE)という果物のジュース(一見牛乳のように見える)がとてもおいしかったです。たぶん日本では飲むことが出来ないものと思いました。先ほどまで忘れていましたが私の誕生日でした。夕食のときケーキをくれるとのことでした。年を重ねてしまいました。

2016-01-11

ピースボートの旅2016年1月11まで

2016年1月9日(土)
体調はすこぶる良くなってきました。朝の太極拳からヨガ、サンバエクササイズ、そしてフォークダンスと一日中体を動かすことになりました。若者を中心にPB(ピースボートの略)が夏祭りを企画して、女性は浴衣・男性は甚平を着てくると飲み物が一割引きとなることもあって、すっかり夏祭りの雰囲気です。お化け屋敷はペアが条件となっていましたが、申込者が多くて多少困ってしまいます。結構、高齢の女性に人気が出てきたようです。おかげでかき氷をごちそうする羽目になりました。

2016年1月10日(日)
朝早く起きたので、11階のデッキに出ると大勢の人だかりでした。星の先生(元国立天文台所長)
が南十字星を案内していただきました。日本では見ることのできない星座のため、多くの方が夜空を見上げていました。星の観測が終わっていつもの太極拳、ヨガ、サンバエクササイズをしましたが、太極拳の時に九条の会の方から案内があり聞いてみました。PBのボランティア職員もいて結構内情もわかってきました。加えて、マウスミュージック(指笛)の方からも強烈なお誘いがあり、参加しましたが、なかなか音が出ずに困っています。吹けばふくほどスースーとしか出なく、そのうち頭の貧血状態となってきましたのでお休みしました。

2016年1月11日(月)モーリシャス(ポートルイス)

久しぶりの寄港地でした。歴史探索というツアーに加わりました、驚いたことに1869年にフランス人が周りの国から?インドや中国、アフリカやセイロンから人を集めてきてその登録を写真入りで作っていたことです。奴隷というか砂糖工場の労働者としてフランス人の工場が所有する労働者の登録が行われていたようです。そして1910年に独立するまでフランスに支配されていたようです。現在は英語圏が強くなっていますが、フランス的な傾向や言語はたくさん残っているようです。我々の乗ったバスのガイドは男性でしたが、隣のバスのガイドは女性で色は黒いのですが9等身のスタイル抜群の美人でした。一緒に写真を撮りたいと願っていましたが昼食時当たりから行方が分からなくなり、残念ながら実現はできませんでした。


2016-01-09

ピースボートの旅2016年1月8日

2016年1月6日(水)
何とか体調は回復しましたが、ピースボート運営事務局はお休みをしており、朝から映画ばかりとなりました。懐かしいスチーブマックインの「大脱走」から始まり、たそがれ清兵衛、サム、もののけ姫と。部屋のビデオでは「たんぽぽ」が上映され一日中映画漬けとなりました。
映画以外に何もないのも結構面白いものでした。



2016年1月7日(木)
ピースボート事務局も回復し、あさ600~太極拳、その後ヨガ教室、朝食を挟んでサンバ教室と午前中の体操をこなし、次の寄港地向けの水先案内人3名が紹介されるセミナーに参加しました。
3人はマレーから乗り込みマダカスカルとケープタウンで下船の予定とのことでした。
マダカスカルのツイナ・エンドールさんの報告では、マダカスカルは1960年にフランスから独立した国で8割の人がまだ原始生活を行っているとのことで、1家族の食事代は12ドルとのことでした。11日に寄港地につくまでしばらくあるのでさまざまと寄港地情報があるとのことで楽しみにしています。

2016年1月8日(金)
朝から頭痛がありインフルエンザかと思い心配しました。食欲は十分にあったので鎮痛剤を飲んでしばらくすると全快しました。多少寝すぎた感じで貧血を起こしていたのかもしれません。あまり公表してはいけないのですが、インフルエンザに罹った方が数名いて、個室に隔離されたとのことでした。船内はエアコンが寒いほどに効いていて空気が乾燥しているとのことで、洗濯などをして部屋の加湿を工夫することが話されていました。まだまだ旅は長いので健康には十分すぎるほど注意が必要のようです。10日にはモーリシャスに到着の予定です。


2016-01-06

ピースボートの旅2016年1月2日~4日マーレと5日

2016年1月3日(日)
今日は太極拳の会場が7回のブローウェイになっていました。これは海賊の出没する海域に入ったため、甲板での集まりが禁止となったためでした。朝食をとった後に「ブラボー・タンゴ」という暗号放送が英語で流れ、すぐに日本語での案内がなされました。警報とこの暗号放送がなされた場合は、すぐに局室に戻り、窓のある船室の客はカーテンを閉め部屋の明かりを消すようにとの指示がありました。幸いにマレーにつくまでは訓練だけで実際の海賊には遭遇することはないようです。明日の朝はいよいよモルジブの都 マレーに到着します。モルジブは平均海抜1.5メートルとこのままでは、地球の温暖化の影響で水没する国家となってしまうとのことでした。2008年にそれまで30年間続いた独裁政権を打ち破って、民主化を望む革新的な大統領が誕生しましたが、2011年にクーデターによりその大統領は15年の禁固刑になったとのことです。警官や軍隊が新大統領を認めずに旧独裁者の息がかかったまま、新大統領での協力がなされなかったことが大きな要因とされています。大統領が言った言葉に、アラブでは人の殺し合いを行っている、今、私たちの国土は地球温暖化の影響で水没してしまう。モルジブは世界の先端で地球規模の環境破壊と戦っている。人間同士が戦っている場合ではない。の言葉に感動しました。

2016年1月4日(月)モルティブ(マーレ)
700にマレーの港に入港した。船が大きいため直接に埠頭に着岸できず、ボートがピストン輸送することとなった。大きなモスクと高級レストランで食事をして、野菜市場と魚市場を見学した。世界一人口過密の都市とのことでした。もう一日、モルティブ観光の日があるので今度は美しい島を見学したい。






2016年1月5日(火)

朝起きてからすぐに眩暈がしてまた寝てしまいました。朝食の時間にも未だ眩暈がしていたのでマレー市内観光はあきらめました。同室の須藤さんは元気に市内観光に出かけ、昨日、須藤さんたちと回った梅津さんからお誘いを受けましたが、残念ながら部屋で休みました。午前中まで眩暈がひどかったのですが、午後からはすっきりしてきましたが、ぶり返すと大変なので室内での無料ビデを見て過ごしました。一日中何もしないのも贅沢な時間の使い方でした。改めて健康でいることの尊さに感謝しました。

2016-01-02

ピースボートの旅2015年12月24日からベトナム~2016年1月2日まで

2015年12月24日(木)
朝6:00から「太極拳」「ヨガ・ストレッチ」を楽しみましたが、太極拳を終わってヨガの教室に行くと満員になっており、コーチの裏のカウンターのその奥にマットを引いて、コーチの声だけを頼りにストレッチをしました。コーチは小橋佳奈子さんと言って、30歳くらいの女性で食堂やツアーの際によく見かけ声をかけていただきました。朝食はほぼ同じ場所になっていて、牛乳とコーヒーがたっぷり飲める9Fのデッキ食堂を利用しています。本日はクリスマス・イブなので、若い女性はサンタの衣装を身に着け船内を動き回っています。午前の体操は普段ですと午後に同じ内容で繰り返されるのですが、午後からはクリスマスイヴェントが多くなっていてほとんどのエクササイズは一回のみとなってしまいました。昼食を食べ終わったころ、海を眺めているとヨガの小橋さんが声をかけてきて、雑談をしていると船の近くから飛魚を発見しました。イルカを見た人もいるようで探しましたが、その後は近くを通る中国の漁船だけしか現れませんでした。夕刻からクリスマスダンスパーティが開かれ、壁の花かと思っていましたら積極的な女性が多く簡単なステップのダンスを楽しみました。

2015年12月25日(金)
今日はベトナムのダナンに朝6:00にティエンサ港(Thien Sa Port)、通称ダナン港(Da ang Port)入港し、オプショナルツアーで「世界遺産のホイアン観光」に出かけます。主に福建会館・旧日本人街・ホイアン市場により、ダナンのダナン労働会館・戦争博物館などの観光をします。
朝早く出かけたので、ダナンの施設観光を行ってから旧日本人街を見て、その後食事となりました。気温がどんどん上がり35度Cまで来ました。同室の宇田さんと出かけるときは一緒でしたが、ホイアンで彼は離脱しました。


2015年12月26日(土)
朝6:00から「太極拳」「ヨガ・ストレッチ」を楽しみましたが、太極拳を終わってヨガの教室に行くと満員になっており、コーチの裏のカウンターのその奥にマットを引いて、コーチの声だけを頼りにストレッチをしました。

2015年12月27日(日)
朝6:00から「太極拳」「ヨガ・ストレッチ」を楽しみましたが、太極拳を終わってヨガの教室に行くと満員になっており、コーチの裏のカウンターのその奥にマットを引いて、コーチの声だけを頼りにストレッチをしました。シンガポールに関する情報が多くなってきました。WI/FIに関する情報を求めましたが、結構難しそうだった。

2015年12月28日(月)
朝6:00から「太極拳」「ヨガ・ストレッチ」を楽しみましたが、太極拳を終わってヨガの教室に行くと満員になっており、コーチの裏のカウンターのその奥にマットを引いて、コーチの声だけを頼りにストレッチをしました。石田陽子さん 橋本あゆみさんと紹介しましました。


2015年12月29日(火)
朝6:00にシンガポールのハーバー・フロント・センターCCO2埠頭に入港しました。シンガポールは仕事で3回、プライベートで2回来ていましたので、それなりに自信がありましたので、オプションツアーは予約しないで、独自に回りました。地下鉄でラッフルホテル前に行って、マーライオンを見て、チャイナタウンまで歩いてそこからやはりチャイナタウンに、地下鉄で帰ってきました。ハーバーフロント駅では、無料のWI.FIが使用できたので、結構それまでのメールやFBも確認できました。しかし、パソコンの電源が足りず途中で、電源が切れてしまいました。
iPadiPhoneでは結構連絡ができたので、ラインでは家族と連絡が取れることがわかりました。
街中には同室の須藤さんと宇田さんと一緒に出掛けましたが、チャイナタウンで宇田さんとは別れハーバフロントで須藤さんと別れました。WI/FIが使えることが分かったので、一度船に戻りパソコンを持ってリボシティの喫茶店でブログ作成をしました。船に戻る途中、スマホを持った方たちがWIFIの使い方を困っていましたので、アドバイスをしているうちに夕食の時間が足りなくなってしましました。結局バタバタしながらも充実した一日となりました。

2015年12月30日(水)
昨日の疲れがありあり、遅くなってしまいましたが、太極拳からヨガ、サンバの教室に通い社交ダンスも出ました。同室の須藤さんが双眼鏡の見方の自主研究会を始めたので、お手伝いに行きました。結構要望者が多くマイクがなかったので後ろの方には、個別でアドバイスすることになりました。

2015年12月31日(木)

朝から恒例の太極拳、ヨガ、ダンスをしました。例年になく年度末の意識のない大晦日になりました。夜の830から紅白歌合戦を見て、カウントダウンパーティに出る予定でしたが、10:00頃には眠たくなってしまい。会えなく撃沈、後から聞くとサンバの先生がTバックの4衣装を着て踊りまくったとのことでした。
2016年1月1日(金)
年が変わったのですがまったく気分は変わらず、正月気分にはなっていませんでした。
いつもと違うのは、太極拳やヨガ、サンバ教室・社交ダンスも中止で朝から初日の出を見ようかいやもちつき大会、鏡開きなど正月企画で満載でした。夜は20:30~かくし芸大会や深夜シアターがあり、今日も寝させない雰囲気が漂っていました。どうなることやら。

2016年1月2日(土)
平常の船の生活に戻った、朝600~太極拳、その後ヨガ教室、朝食後、サンバエクササイズ
を受けた後に、「南の国の大統領」という100分のドキュメンタリー映画を見ました。2011年に41歳の若さで大統領になった彼は、地球温暖化の中でモルティブの島々が水没するという危機に対して、CO2削減会議で何とか合意に結び付けていく。アラブでの戦争は人が人を殺すが、人はいつか死んでいくのになぜ戦うのか?モルティブは水没の危機に直面している、地球規模の祖国を失うかどうかの話だと強調していた。4日にはモルティブの首都マーレに行く。なんだか不思議な感じです。また、宇宙の話を元国立天文台の伊藤昌市さんから聞いた。これから南半球に行くので
南十字星や近くの星座を見るコツを教えていただいた。また銀河系だけではなくブラックホールなどの話も聞いた。スケールのでかい話でしたが面白かった。この後航路説明会が予定されている。