2018-06-22

98回ピースボートの旅2018年6月4日~6月14日


98回ピースボートの旅
2018年6月4日~6月14日
6月4日(月)

 昨夜の時差調整は船が西に進んでいるのにかかわらず、1時間ほど前に進めるものでした。おかげで夕刻がとても遅くなっていて、夕刻の7時というのに太陽が西の空に煌々と輝いています。
昨日のスエズ運河通過で、一日中イベントがなく今朝は寝不足のまま朝のヨガ体操、わくわくバルセロナ紹介やみんなでサルサなど、忙しく過ごしました。ブルガリアの説明会では居眠りをしてしまいました。みんなでサルサでは恵庭の鈴木さんとジルバの練習もしました。社交ダンスの会では一緒にジルバでも踊りたいものです。
 
6月5日(火)
 朝700にギリシャのサントリーニ沖に停泊しました。あさ600に停泊したのですがタグボートが迎えに来るのは800ということで、朝食を済ませて待機していました。PBからは街中はすりやひったくりが多いので十分注意するようにとの案内でした。実際にはフィラの人込みを歩いていてもそんなに心配するほどのものではありませんでした。最初にイアのアクロティ遺跡を見ました。3700年前に噴火によって埋もれて町とのことですが、ほとんど雨の降らない土地の様でその当時のフラスコ画が色鮮やかに残っていたようです。灰と湿気の少なさが染料をそのまま保ったのではないかといわれていました。ただ観光地なので物価が高く土産物も後で行ったピレウスより倍近いものでした。浅草の土産物屋のようなにぎわいの中で、しきりと日本語も混ぜて語りかけて話してくれるので、十分に買い物も楽しむことが出来ました。帰りのケーブルカーで今回のクルーズのチーフデレクターの田村美和子さんとマリンさん、そしてクルーズナビTVのスタッフと同じカートに乗ることになり、旅の感想などが求められました。栗城さんは期待通りと応え、常さんは昼食の時にビールが瓶のままに出てきたのを、中学校以来のラッパ飲みを体験したと答えましたが、あえなく常さんの感想はカットされてしまいました。

6月6日(水)
 続けてギリシアのピレウスに来ました。アクアポリスの丘に上がりパルテノン神殿をまじかに見ました。丘の上からは遠く地中海を眺め眼下に港や町並みや遺跡を一望しました。パナティナイコ・スタジアム(近代オリンピック第1回開催地)を見たり、ゼウス神殿を眺めました。市内プラカ地区で昼食をとって私たちはツアーから離団して、自由見学としました。昼食をとった後博物館を探していると22歳の女性二人が一緒に行きたいといってきたので、総勢8名の団体行動となりました。彼女たちの案内でアクアポリス博物館に行きました。こちらは2700年前の遺跡とのことで前日のサントリーニ島よりも1000年も後の文明ですが、大規模な神殿や大理石を使った建造物が多く残されていました。見学の後、船に戻るために地下鉄に乗りましたが、途中で下されてしまいました。何かストライキがあったとのことで、その駅からバスで移動するようにと言われ、8名の難民となってしまいました。バス停には多くの人が群がり、何とか乗り込んでも満員で身動きが取れない状況でした。さらに、この道は間違っているので戻ったほうが良いとかさまざまなアドバイスがあり、結局、一度バスを降り次のバスにまた乗り適度なところでおりました。そこに韓国人の青年が現れ、ピースボートの船までは歩いて10分程度とのことで安心して夕食会場を探しました。レストランに入ると通称チアリさんとマリンさんの二人が食事をしていたので、アドバイスを受けながら8人でリブステーキやリゾットパスタをシェアしながら会食をしました。すでに夜の1000近くになって市橋佳那子さんに連絡を取りニューヨークのミュージカルのチケットを予約しました。インターネット回線が繋がっているうちにと思い、7121400からのチケットを8名分用意しました。バーチャルチケットが遅く結局深夜1200近くまでかかってしまいました。

67日(木)
 朝のヨガは中止となっていましたが、1000~ヨガが始まりました。そこに、女優の東ちずるさんが加わり一緒にヨガをすることになりました。私たちのヨガ仲間のすぐ目前でヨガを始めました。かなり柔軟で開脚前屈でも胸がつけられるほどに柔軟な身体でした。その後、恵庭の鈴木さんと昼食後にお茶会をすることにして、菓子を持参して九州の知覧茶をいただきました。栗城さんも常さんもすっかり満足していました。その勢いでみんなでサルサに参加しましたが、サルサ会場にも東ちずるさんと俳優の照英さんが参加して、いましたがやはり栗さんは尻込みして途中で断念してしまいましたので、その後、恵庭の鈴木さんとジルバの練習を始めることにしました。
 その後古代ローマ文明の講演を聞きましたが、睡魔に襲われ居眠りをしてしまいほとんど内容を覚えていませんでした。夜にクルーズナビTVに出るというので、見るとしっかり映っていました。
それ以来、テレビを見ましたと声をかけられる機会が増えてきました。

68日(金)
 前日に一時間ほど時間を遅らせたのに、とても長く寝てしまい。朝のヨガ体操がぎりぎりとなりました。10時の東ちづるさんの講演を聞いて、みんなでサルサに参加しました。バルセロナやノールウエイのベルゲンの自由行動の同行者を募って、何とか7人から8人の集団となりました。
ベルゲンはキャンセル待ちをキャンセルして市橋佳奈子さんと同行することを考えました。ニューヨークの事前行動になりそうです。サルサでは恵庭の鈴木さんとジルバの特訓を行いました。

69日(土)
 イタリアのカリアリに到着しました。長くつの先っちょに位置するサルベージュ島の都市です。この地方の州旗は4人の英雄の目隠しをした首だったのですが、近年、目隠しを外した頭を掲げるようになったとのことです。風景が美しく観光が盛んになりましたが、とても古い街並みと現代的な街並みが共存しているところでした。国立考古学博物館を見学後に象の塔やカテドラルの外観を見学して、一度帰船して夕食をしてから帰船リミットの10時までを目標に再度、街の中心街のPIAZZ YENNEまで歩いていきました。途中でバンビちゃん(オリーブちゃん)がからすみの粉末がおいしいというので、中心街のスーパーマーケットに買い出しに行きました。さらに途中で照英さんにあったので記念写真を撮っているうちに、ビーバーちゃんに聞いた「ボッタルガ」という名前を忘れてしまい、途中で日本人女性にお聞きしましたが、わからずにお店に入って大島さんと通訳の小泉さんにお会いして、何とか商品を見つけました。現地の方も含めてお店にあったボッタルガはほとんどなくなりました。港の近くにあった免税店の価格の半額で買えたのでみんな大喜びでした



610日(日)
前日が寄港地でしたのでヨガやサルサ健康体操やみんなでサルサは中止となっていました。午前中に東ちづるさんの私はワタシという講演を聞きました。「LGBT」(セクシャルマイノリティ)に関する映画とそのコメントでしたが、映画の製作協力者に5000円から可能で、その他資金援助をお願いします。という話を聞いているうちに意気消沈してしまい異次元の世界の話の様に思えてきました。栗城さんも同様な感じで、鈴木常さんも関心を無くしたようです。社交ダンス広場に恵庭の鈴木さんと練習に出かけました。バンビちゃんがブルースやワルツを教えてくれましたが、ジルバ以外は難しかったようです。特にワルツは基本が出来ていなくボックス以外のステップが出来ません。恵庭の鈴木さんはバンビちゃんとルンバやチャチャチャを踊りたそうで、ジルバの時だけ踊っていただけました。

611日(月)
 スペインのバルセロナに朝の600に入港しました。栗城さんが一度来たことがあるというのでオプショナルツアーを取らずに、独自に歩くことにしました。話を聞きつけてシンガポールで一緒した名古屋の鈴木さん[かっちゃん]と下原さん、常さんの同室の斉藤さん、ピレウスで一緒したかがみんさんとその友達の愛奈さんそして90回で一緒した三浦さんが同行することになって、朝の7時には下船許可が出るので急いで、行くことにしました。簡易的に栗城さんと下原さん、常さんとかっちゃん、斉藤さんと各務、磯部愛奈さん、そして三浦さんと潮見の編成にして、行動するようにしました。
 朝が早すぎてシャトルバスが出ていないため、タクシーに分乗して5人と4人に分かれました。不思議なことに5人の乗りは16ユーロを超え、4人乗りは6.4ユーロで納まりました。サクラダファミリアに行くので地下鉄に乗ろうとしましたが、近くにある入り口を通り過ぎて、しかも反対方向に乗ったり、急に下車したりして2人が次の駅から戻ってきたりして、結局サクラダファミリアにつくのに一時間以上かかってしまいました。サクラダファミリアの入場券を購入しましたが、夕方の630~といわれ一時は断念しましたが、ピースボート単独で来た女性が615分から見るというので私たちも午後630の入場券を買いました。まだ午前1000でしたのでそれから公園や市場に行って昼食を食べました。9人でピッサやスパゲッティ、パイレオをシェアしていただきました。市場でイベリコハムの買い食いをしたりして、530分にサクラダファミリアに戻り近くのマグドナルドで簡易の夕食をいただきました。若い女性の愛奈ちゃんは疲れ切って寝てしまいました。620頃からサクラダファミリアの内部に入りましたが、やはり素晴らしいものでした。
帰船リミットが2100とのことでしたが、2000で食事が無くなってしまうとのことで、大急ぎで食堂に駆け込みました。しかし私と常さんと三浦さんの3人だけが間に合いました。お市さんが一緒になり彼女が菜食主義者であることを知りました。ニューヨークとベルゲンをお願いしているので、彼女の食事も考えてあげることが必要かと思いました。部屋に戻ると各務さんと愛奈さんがご挨拶に来て、翌日 打ち上げをお願いされました。

612日(火)
 寄港地の翌日だったので、ヨガが10時からのスタートとなりました。恵庭の鈴木さんに琵琶を預けて翌日に頂くことにしました。また社交ダンスの広場があったので、鈴木さんをお誘いしましたが、疲れ切っていて今日は無理とのことでしたので一人で参加しました。バルセロナを一緒した三浦さんが参加していたので、ジルバやワルツを踊りましたが、やはりジルバだけがまともで他はできませんでした。三浦さんは年長でしたがワルツやブルースは完全にマスターしているようでした。北海道人会の男性が上手に踊っているので少し真面目に練習しようかと思いました。
 夕方、各務さん愛奈さんとピレウスで一緒した猿渡さんも参加して総勢10名の打ち上げ会になりました。年配者は22歳の女性たちの乗船動機をお聞きし、若い人は年配者に今まで一番良かった国はどこですかでした。

613日(水)
久しぶりに朝600からのヨガとなりました。恵庭の鈴木さんが疲れて社交ダンスも出席しないというので、一人で社交ダンスに出席しました。初めての社交ダンスに出てみました。10人ごとに男女が組み合わされて練習するので、初めての私にはむづかしかったです。昼過ぎに恵庭の鈴木さんと琵琶を食べてお茶会を行いました。その後することが無くなったので、マージャンをしながら夕食会上に行くとまた、恵庭の鈴木さんと一緒になりよく日のリスボンの情報交換を行いました。

614日(木)
 リスボンに700に入港しました。ツアーに入っていたので815に集まりバスに乗ってアルファマ地区、ジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメントを見学しました。見学の後市内のレストランで昼食をいただきましたが、ワインのあか、白、ビール、コーラ、スプライト、オレンジジュースが飲み放題で、栗城さんも常さんも大量にワインを飲んでいました。帰船リミットが1600でしたが、ツアーが遅れてしまい1540にやっと終了したため港の近くのマーケットによる時間が少なく、何とか琵琶を8個買うことが出来る程度でした。早速に恵庭の鈴木さんに預けて後日お茶会を開くこととしました。帰りがけにお市さんがフランスを同行したいというので、ウエルカムにしました。また三浦由美さんが夕食に来なくなったので心配しました。
よく日は朝の600~ヨガレッスンをするとお市さんが張り切っていました。



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