2018-07-06

ピースボート98回クルーズ 2018年6月15日~6月25日


6月15日(金)
 お市さんの約束通りに朝600~ヨガのレッスンがありました。社交ダンスのワルツレッスンに出てみると10名ずつ区切って、男女が組み合わされ練習が始まりました。初めて朝レッスン参加したので基本もわからずに戸惑ってしまいました。相手に気の毒でパスしようかと思いましたが、講師の先生からわからないから練習しなさいと言われて頑張りましたがかなり困難でした。わくわくルアーブルの情報を聞いて、とても眠たくなってきました。前日の疲れが出てきたようで、午後3時ころから夕食までぐっすりと寝てしまいました。夕食を終えてやはり眠たくなったので早々と眠りました。この日は1時間ほど時刻を早めるという逆時差になったので、夕方7時に寝ても8時に寝たことと同じになるといって早めに眠りました。ところが夕方の船内新聞の配布とともにモンサンミッシェルのバズチケットが入手できるという情報が入り急遽、常さんはやはり行きたいというので、どうするかを検討し、常さん一人で行くことになりました。栗さんと私は大島女史を頼って、エトルタ観光を行うことしました。

6月16日(土)
 前日が早く寝たせいで、早々と目覚めました。ヨガ教室に行くと朝600のスタートにまだ間に合わない人が多くなっていました、前日に時間を1時間ほど早める作業を怠ると、5時になっていて遅れていたようです。いつもの3分の2程度の人数で始まりましたが、恵庭の鈴木さんも頑張って、ヨガに出てきてその後の社交ダンスやサルサダンスもやろうということで、午前中3時間ほどワルツとジルバ、ブルースそしてサルサの練習をすることとなりました。食後の吉岡淳さんの世界遺産と私の講演を聞いた後、ベルゲンもフイヨルド観光が可能となり、阿部さん三浦さんに断りを入れて申し込むことにしました。恵庭の鈴木さんと琵琶に似た果物を食べて、お茶会を行いました。

6月17日(日)
 朝6時にフランスのルアーブルに着きました。早速にパスポートの配布が始まり8時ころに船を出発してエトルタに向かうことにしました。あまりに早く出たのでシャトルバスもなくバスのチケットを購入しないで、タクシーで駅に向かいました。ちょうど駅に行く人がいましたので、一人2ユーロで駅まで行くことが出来ました。駅からエトルタまで125ユーロで往復と2時間の待ち時間込みで交渉が成立して、出発しました。駅からエトルタまでは30分程度でした。少し雨模様となりましたが、天候も持ち直して帰るころには暑いくらいになってきました。1030分にエトルタを出てルアーブルの街に1110に帰ってきました。床屋を探しましたが、日曜はお店屋さんが休みということで床屋はやっていないとのことでした。近くの朝市に行ってオリーブや果物を買おうとしましたが、昼食後がよいというので後にしました。昼食はチーズの盛り合わせとピザパイをシェアして食べました。一人前ずつ2品頼みましたが、3人で食べて十分でした。食事が終わって教会を観光して、大きな市場に向かいましたが、途中でピースボートの若者集団に会いましたが、スーパーマーケットは午後1時で終了しているとの情報でした。日曜はどの市場も朝市で午后には終了するとのことでした。仕方なく駅に行ってそこの売店で切手とお菓子を買ってタクシー乗り場から船に直行しました。日曜はほとんどのお店も閉まっていて、観光地以外は静かなものでした。



6月18日(月)
 寄港地明けということで、午前中は何のイベントも体操もダンスもなく、第1回目のヨガは1620分からでした。しかし、いつものように朝4時に目が覚めたので、常さんを誘って6時からモーニングコーヒーを飲んで続けて4階のレストランで食事をしました。常さんは、モンサンミッシェルがとてもよかったと、感想を言っていました。キャンセル待ちでバスだけを確保した人がとてもラッキーな観光をすることが出来たようでした。よかったです。8階で水を補給しようとしていると。大阪で震度6の地震があったとのことでBBCニュースを見た人が騒ぎ始め、ピースボートの事務局に連絡をすると早速に状況を掲示板に張り出していました。昼からのヨガということで参加者は非常に少なく、内部の円状のステージはがら空きでした。しかしコーチの佳那子ちゃんは果敢に新たなポーズを紹介し始めました。有名な「太陽礼拝」のポーズの練習を始めました。22日から6日連続の休暇となってしまうので、その前に各自でできるポーズを紹介したいとのことでした。その後、7階ブロードウエイトいうところで社交ダンスの広場があったので、舞台には上がらず、すずさんを誘ってひたすらワルツの練習とブルースの練習を行いました。しかしまだ、公衆の面前で踊れるほどの状況ではなく、下船する前に行われるであろうダンスパーティに向けてひたすら練習することにしました。栗城さんがやはり「のど」の調子が悪く、診療室に行くとのことで、常さんと一緒に同行しました。常さんはランウエイ・ファションショーに出るというので紙おむつをゲットすることを口実に、栗さんの診察に付き合いました。結局3人で連行したような格好で診療室に行きましたが、病状は軽く肺もインフルエンザも関係ないとのことでした。喉の炎症止めと咳止めをもらって帰ってきました。常さんは、売店で紙おむつを購入して予行練習に余念がありませんでした。

6月19日(火)
 久しぶりの6時からのヨガでしたが、すっかり寝込んでしまい530分に目覚めました。急いでいくと既に栗さんも常さんも来ていて、すずさんと同じころに列に並びました。何とかヨガを終えましたが、最後のポーズで「死者のポーズ」で気絶したようで、記憶が飛んでしまいました。いつものように栗さんは健康サルサ体操に私たちは食事をしてからみんなでサルサに参加することとなりました。それに加えてはじめての社交ダンスに参加して、わくわく寄港地サンクトペテロブルグを聞き、それからみんなでサルサに参加と午前中は大忙しとなってきました。社交ダンスではジルバからブルース、そしてワルツとなりこの日からルンバが始まり途中から始めたので基礎がなく困ってしまいました。さらにサルサは最初から参加していましたが、新たなステップというか技が出てきて、すずさんと混乱する事態となってしまいました。昼食を9階でフォーとアジフライという組み合わせですずさんを誘って食べました。その後、部屋に戻るとハウスキーパーといって部屋の掃除が始まり、追い出されたのですずさんとフレッシュジュースを飲みました。
 この日は、ディナー・パーティということで正装して4階のレストランで食事をすることになっていましたが、その日はランウエイ・ファッションショーや仮想パーティがあって、常さんは顔に化粧をしたまま正装をすることとなりました。食事をして、ランウエイ・パーティの常さんを応援しましたが、そのころから声が出なくなってしまい、その後フォーマルウエアを脱いですぐに寝ました。

6月20日(水)
 朝は起きられましたが、朝から体調は良くなくこの日は午前のヨガ、初めての社交ダンス、わくわくロンドンを聞いて、社交ダンスに戻るとすずさんは朝から続けて練習をしていたようです。サルサの新技術を何とかしたいと思いましたが、新たな技術も加わりさらに大変な状況となりました。
午後に、いよいよ声が出なくなったので、診療室に行って薬をもらうことにしました。やはり風邪とかインフルエンザではなく、気管支炎のようですが薬をもらって治療に専念する予定でしたが、夕刻からわくわく寄港地ヘルシンキが始まり、それを聞いて夕食としました。常さんの友人の誕生パーティということで、夕刻630分からバイヤーという生バンドの酒場に参加する予定でしたが、薬を飲んだこともあり今回は辞退することとしました。栗さんと鈴木常さんはしっかり参加して、サルサのステップで全てのダンスをこなしたとのことです。すごいものです。

6月21日(木)
 薬で少し改善されたが、本調子ではなく咳が時々出ました。ヨガの会場は6時でも人数が少なくなってきていて、前日夜の時間調整がうまくいかなかったようで、常さんも540分に電話で起こす事態となりました。船内新聞を見るとみんなでサルサがなく行われないので、久しぶりに健康サルサを栗さん常さんと3人で参加しました。彼らは社交ダンスに関心がなく、床屋の予約を済ませて私は社交ダンスに参加しましたが、彼等は麻雀に行ったようでした。2時間ほど社交ダンスの練習をしてその後、サルサの練習を行いましたが、午後からのパスポートの受け渡しと、その後のくわくストックホルムと「航路と航海の雑学」があるので、せかされながらも昼食をとりイベントを聞きました。夕食は5時半からユミさんを交えてしばしの寄港地連続の間、ヨガ仲間と会えなくなるのでお互いに健康に注意するように励ましあいました。
 明日は、早い方は朝の715分に出発とのことで、準備に余念がありませんでした。

6月22日(金)
今朝は4時に起きましたが、明るい朝でした。6時にサンクトペテロブルグに入港8時の出発でピヨートル大帝の夏の宮殿庭園に行きました。噴水の素晴らしい講演でした。気温が低く寒い一日でした。雨が降らなかったので助かりました。


6月23日(土)
 前日に続き、サンクトぺテルブルグの観光でした。エミタージュ美術館を中心に「血の上の救世主教会」とイサク聖堂を見学しました。この日はワールドカップが開かれていて、通常の観光客に加えてサッカーファンが来ていて、いたるところでサッカーのユニフォームを着た外国人を見かけました。日本は初戦を2-1で勝っていることから、第2戦への期待が高まっているようでした。
エミタージュ美術館の美術品は近代のピカソを含め多くの貯蔵品があるとのことでしたが、見学しただけでも多量の美術品がありました。優秀なガイドのせいもあって効率よく鑑賞することが出来ました。他の教会も見学しましたが、美術館に劣らず素晴らしい美術品がありました。


6月24日(日)
 前日の夜にサンクトぺとルブルクを出発して、フインランドのヘルシンキに午前11時ころに着きました。そこからオプショナルツアーで要塞スオメンリナ島の観光船での周遊を楽しみヘルシンキ中心街の観光をしました。夕刻17時にツアーが終わったので、ツアーから離れて露天市場でチェリーとブルーべリーを購入して、デパートに行きムーミングッツを買い、歩いて帰線しましたが、市場からの道を間違えてしまい、夕食のタイムリミットぎりぎりとなってしまいました。それでも途中でムーミングッツの店舗で購買もでき、急ごしらえの8人の離団グループは夕食に間に合い改めて自由な観光の楽しさを味わいました。この日は、帰船リミットがなく翌日の1100までに戻ってくれば良いとのことで、帰ってこない方も多くいたようです。



625()
 寄港地明けということで、午前中のイベントは何もなく翌日のスエーデンへのパスポートの受け取りがあるだけでした。そこで、湘南のビーバーさんとすずさんと社交ダンスの練習をしました。
カルチャースクールの先生も加わっての練習となりました。本来はワルツの練習を重点に進めたいと思いましたが、現在のカルチャースクールの重点がルンバとなっているため、ルンバの練習が中心となりました。結局9時から11時ころまで自主練を行いましたが、カルチャースクールの先生が、帰船リミットの11時にどのくらいの人が遅れてくるのかを見たいというので自主練を終了しました。この日はまた時差調整があり1時間ほど長い一日となりました。


2018-06-22

98回ピースボートの旅2018年6月4日~6月14日


98回ピースボートの旅
2018年6月4日~6月14日
6月4日(月)

 昨夜の時差調整は船が西に進んでいるのにかかわらず、1時間ほど前に進めるものでした。おかげで夕刻がとても遅くなっていて、夕刻の7時というのに太陽が西の空に煌々と輝いています。
昨日のスエズ運河通過で、一日中イベントがなく今朝は寝不足のまま朝のヨガ体操、わくわくバルセロナ紹介やみんなでサルサなど、忙しく過ごしました。ブルガリアの説明会では居眠りをしてしまいました。みんなでサルサでは恵庭の鈴木さんとジルバの練習もしました。社交ダンスの会では一緒にジルバでも踊りたいものです。
 
6月5日(火)
 朝700にギリシャのサントリーニ沖に停泊しました。あさ600に停泊したのですがタグボートが迎えに来るのは800ということで、朝食を済ませて待機していました。PBからは街中はすりやひったくりが多いので十分注意するようにとの案内でした。実際にはフィラの人込みを歩いていてもそんなに心配するほどのものではありませんでした。最初にイアのアクロティ遺跡を見ました。3700年前に噴火によって埋もれて町とのことですが、ほとんど雨の降らない土地の様でその当時のフラスコ画が色鮮やかに残っていたようです。灰と湿気の少なさが染料をそのまま保ったのではないかといわれていました。ただ観光地なので物価が高く土産物も後で行ったピレウスより倍近いものでした。浅草の土産物屋のようなにぎわいの中で、しきりと日本語も混ぜて語りかけて話してくれるので、十分に買い物も楽しむことが出来ました。帰りのケーブルカーで今回のクルーズのチーフデレクターの田村美和子さんとマリンさん、そしてクルーズナビTVのスタッフと同じカートに乗ることになり、旅の感想などが求められました。栗城さんは期待通りと応え、常さんは昼食の時にビールが瓶のままに出てきたのを、中学校以来のラッパ飲みを体験したと答えましたが、あえなく常さんの感想はカットされてしまいました。

6月6日(水)
 続けてギリシアのピレウスに来ました。アクアポリスの丘に上がりパルテノン神殿をまじかに見ました。丘の上からは遠く地中海を眺め眼下に港や町並みや遺跡を一望しました。パナティナイコ・スタジアム(近代オリンピック第1回開催地)を見たり、ゼウス神殿を眺めました。市内プラカ地区で昼食をとって私たちはツアーから離団して、自由見学としました。昼食をとった後博物館を探していると22歳の女性二人が一緒に行きたいといってきたので、総勢8名の団体行動となりました。彼女たちの案内でアクアポリス博物館に行きました。こちらは2700年前の遺跡とのことで前日のサントリーニ島よりも1000年も後の文明ですが、大規模な神殿や大理石を使った建造物が多く残されていました。見学の後、船に戻るために地下鉄に乗りましたが、途中で下されてしまいました。何かストライキがあったとのことで、その駅からバスで移動するようにと言われ、8名の難民となってしまいました。バス停には多くの人が群がり、何とか乗り込んでも満員で身動きが取れない状況でした。さらに、この道は間違っているので戻ったほうが良いとかさまざまなアドバイスがあり、結局、一度バスを降り次のバスにまた乗り適度なところでおりました。そこに韓国人の青年が現れ、ピースボートの船までは歩いて10分程度とのことで安心して夕食会場を探しました。レストランに入ると通称チアリさんとマリンさんの二人が食事をしていたので、アドバイスを受けながら8人でリブステーキやリゾットパスタをシェアしながら会食をしました。すでに夜の1000近くになって市橋佳那子さんに連絡を取りニューヨークのミュージカルのチケットを予約しました。インターネット回線が繋がっているうちにと思い、7121400からのチケットを8名分用意しました。バーチャルチケットが遅く結局深夜1200近くまでかかってしまいました。

67日(木)
 朝のヨガは中止となっていましたが、1000~ヨガが始まりました。そこに、女優の東ちずるさんが加わり一緒にヨガをすることになりました。私たちのヨガ仲間のすぐ目前でヨガを始めました。かなり柔軟で開脚前屈でも胸がつけられるほどに柔軟な身体でした。その後、恵庭の鈴木さんと昼食後にお茶会をすることにして、菓子を持参して九州の知覧茶をいただきました。栗城さんも常さんもすっかり満足していました。その勢いでみんなでサルサに参加しましたが、サルサ会場にも東ちずるさんと俳優の照英さんが参加して、いましたがやはり栗さんは尻込みして途中で断念してしまいましたので、その後、恵庭の鈴木さんとジルバの練習を始めることにしました。
 その後古代ローマ文明の講演を聞きましたが、睡魔に襲われ居眠りをしてしまいほとんど内容を覚えていませんでした。夜にクルーズナビTVに出るというので、見るとしっかり映っていました。
それ以来、テレビを見ましたと声をかけられる機会が増えてきました。

68日(金)
 前日に一時間ほど時間を遅らせたのに、とても長く寝てしまい。朝のヨガ体操がぎりぎりとなりました。10時の東ちづるさんの講演を聞いて、みんなでサルサに参加しました。バルセロナやノールウエイのベルゲンの自由行動の同行者を募って、何とか7人から8人の集団となりました。
ベルゲンはキャンセル待ちをキャンセルして市橋佳奈子さんと同行することを考えました。ニューヨークの事前行動になりそうです。サルサでは恵庭の鈴木さんとジルバの特訓を行いました。

69日(土)
 イタリアのカリアリに到着しました。長くつの先っちょに位置するサルベージュ島の都市です。この地方の州旗は4人の英雄の目隠しをした首だったのですが、近年、目隠しを外した頭を掲げるようになったとのことです。風景が美しく観光が盛んになりましたが、とても古い街並みと現代的な街並みが共存しているところでした。国立考古学博物館を見学後に象の塔やカテドラルの外観を見学して、一度帰船して夕食をしてから帰船リミットの10時までを目標に再度、街の中心街のPIAZZ YENNEまで歩いていきました。途中でバンビちゃん(オリーブちゃん)がからすみの粉末がおいしいというので、中心街のスーパーマーケットに買い出しに行きました。さらに途中で照英さんにあったので記念写真を撮っているうちに、ビーバーちゃんに聞いた「ボッタルガ」という名前を忘れてしまい、途中で日本人女性にお聞きしましたが、わからずにお店に入って大島さんと通訳の小泉さんにお会いして、何とか商品を見つけました。現地の方も含めてお店にあったボッタルガはほとんどなくなりました。港の近くにあった免税店の価格の半額で買えたのでみんな大喜びでした



610日(日)
前日が寄港地でしたのでヨガやサルサ健康体操やみんなでサルサは中止となっていました。午前中に東ちづるさんの私はワタシという講演を聞きました。「LGBT」(セクシャルマイノリティ)に関する映画とそのコメントでしたが、映画の製作協力者に5000円から可能で、その他資金援助をお願いします。という話を聞いているうちに意気消沈してしまい異次元の世界の話の様に思えてきました。栗城さんも同様な感じで、鈴木常さんも関心を無くしたようです。社交ダンス広場に恵庭の鈴木さんと練習に出かけました。バンビちゃんがブルースやワルツを教えてくれましたが、ジルバ以外は難しかったようです。特にワルツは基本が出来ていなくボックス以外のステップが出来ません。恵庭の鈴木さんはバンビちゃんとルンバやチャチャチャを踊りたそうで、ジルバの時だけ踊っていただけました。

611日(月)
 スペインのバルセロナに朝の600に入港しました。栗城さんが一度来たことがあるというのでオプショナルツアーを取らずに、独自に歩くことにしました。話を聞きつけてシンガポールで一緒した名古屋の鈴木さん[かっちゃん]と下原さん、常さんの同室の斉藤さん、ピレウスで一緒したかがみんさんとその友達の愛奈さんそして90回で一緒した三浦さんが同行することになって、朝の7時には下船許可が出るので急いで、行くことにしました。簡易的に栗城さんと下原さん、常さんとかっちゃん、斉藤さんと各務、磯部愛奈さん、そして三浦さんと潮見の編成にして、行動するようにしました。
 朝が早すぎてシャトルバスが出ていないため、タクシーに分乗して5人と4人に分かれました。不思議なことに5人の乗りは16ユーロを超え、4人乗りは6.4ユーロで納まりました。サクラダファミリアに行くので地下鉄に乗ろうとしましたが、近くにある入り口を通り過ぎて、しかも反対方向に乗ったり、急に下車したりして2人が次の駅から戻ってきたりして、結局サクラダファミリアにつくのに一時間以上かかってしまいました。サクラダファミリアの入場券を購入しましたが、夕方の630~といわれ一時は断念しましたが、ピースボート単独で来た女性が615分から見るというので私たちも午後630の入場券を買いました。まだ午前1000でしたのでそれから公園や市場に行って昼食を食べました。9人でピッサやスパゲッティ、パイレオをシェアしていただきました。市場でイベリコハムの買い食いをしたりして、530分にサクラダファミリアに戻り近くのマグドナルドで簡易の夕食をいただきました。若い女性の愛奈ちゃんは疲れ切って寝てしまいました。620頃からサクラダファミリアの内部に入りましたが、やはり素晴らしいものでした。
帰船リミットが2100とのことでしたが、2000で食事が無くなってしまうとのことで、大急ぎで食堂に駆け込みました。しかし私と常さんと三浦さんの3人だけが間に合いました。お市さんが一緒になり彼女が菜食主義者であることを知りました。ニューヨークとベルゲンをお願いしているので、彼女の食事も考えてあげることが必要かと思いました。部屋に戻ると各務さんと愛奈さんがご挨拶に来て、翌日 打ち上げをお願いされました。

612日(火)
 寄港地の翌日だったので、ヨガが10時からのスタートとなりました。恵庭の鈴木さんに琵琶を預けて翌日に頂くことにしました。また社交ダンスの広場があったので、鈴木さんをお誘いしましたが、疲れ切っていて今日は無理とのことでしたので一人で参加しました。バルセロナを一緒した三浦さんが参加していたので、ジルバやワルツを踊りましたが、やはりジルバだけがまともで他はできませんでした。三浦さんは年長でしたがワルツやブルースは完全にマスターしているようでした。北海道人会の男性が上手に踊っているので少し真面目に練習しようかと思いました。
 夕方、各務さん愛奈さんとピレウスで一緒した猿渡さんも参加して総勢10名の打ち上げ会になりました。年配者は22歳の女性たちの乗船動機をお聞きし、若い人は年配者に今まで一番良かった国はどこですかでした。

613日(水)
久しぶりに朝600からのヨガとなりました。恵庭の鈴木さんが疲れて社交ダンスも出席しないというので、一人で社交ダンスに出席しました。初めての社交ダンスに出てみました。10人ごとに男女が組み合わされて練習するので、初めての私にはむづかしかったです。昼過ぎに恵庭の鈴木さんと琵琶を食べてお茶会を行いました。その後することが無くなったので、マージャンをしながら夕食会上に行くとまた、恵庭の鈴木さんと一緒になりよく日のリスボンの情報交換を行いました。

614日(木)
 リスボンに700に入港しました。ツアーに入っていたので815に集まりバスに乗ってアルファマ地区、ジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメントを見学しました。見学の後市内のレストランで昼食をいただきましたが、ワインのあか、白、ビール、コーラ、スプライト、オレンジジュースが飲み放題で、栗城さんも常さんも大量にワインを飲んでいました。帰船リミットが1600でしたが、ツアーが遅れてしまい1540にやっと終了したため港の近くのマーケットによる時間が少なく、何とか琵琶を8個買うことが出来る程度でした。早速に恵庭の鈴木さんに預けて後日お茶会を開くこととしました。帰りがけにお市さんがフランスを同行したいというので、ウエルカムにしました。また三浦由美さんが夕食に来なくなったので心配しました。
よく日は朝の600~ヨガレッスンをするとお市さんが張り切っていました。



2018-06-03

98回ピースボートの旅5月27日~6月3日


5月27日(日)
600~ヨガ体操1130のみんなでサルサでした。
常さんのきれいにバラを咲かせるが好評だったので、30日に再開することとして、27日の自主企画申請広場で申請を行った。すっかり慣れてきていてスムーズに申請が出来た。
船の揺れが激しく、ちょっとした運動でも疲れやすくなってきているようです。常さんが原稿を直したいというので、訂正箇所を確認して入力してPDFに作り替えました。
また時間調整があったので一時間遅らせました。すでに6時間の時差となったので4分の一地球を回ったことになります。

5月28日(月)
 朝600~ヨガ体操、1130からのみんなでサルサの予定でしたが、波が高くサルサは中止となりました。そのため常さんの原稿をプリントして十分に時間の余裕が出来ました。
海賊出現エリアとのことで、護衛艦がついてきてくれています。
 夕方19:00より、90回クルーズの集まりがあり17名の参加がありました。漏れた方も数人いますが、名簿と写真を写しました。また、ピースボートスタッフにも90回メンバーがおられるので次回は彼らも含めて、中間の集まりも必要ならば開催したいと思っています。参加してくれたヨガの佳那子ちゃんがファッションショーに出るので、インドのサリーを着ていました。一時間ほどで懇親会を終わり、ファッションショーに集結しました。

5月29日(火)
 朝600~佳那ちゃんのヨガでした。ヨガの始まる前に前日の90回懇親会で合田さんから頂いた小さなエンブレムを近くにいた女性に差し上げました。恵庭の鈴木さんは大変喜んで、お気に入りの帽子に付けてサルサのダンスに着けてきました。その日、恵庭の鈴木さんのお部屋で常さんが持ってきたお菓子を持参して、お茶会を行いました。
運動会実行委員会から各人に手紙が来て運動会の種目の練習が始まりました。私と栗城さんは玉入れ、常さんは綱引きに出場することになりました。私と常さんは同じ青組ですが栗城さんは紅組なのでそれぞれ練習時間や応援の仕方が違ってきています。

5月30日(水)
 朝6:00~ヨガ、11:30~みんなでサルサをしました。午後は常さんの自主企画「バラを綺麗にさかせる」の2回目でした。前回は31名の参加でしたが、2回目はそれを上回る35名の参加がありました。終わって、打ち上げにカサブランカというスナック兼喫茶店で、恵庭の鈴木さんと三浦由美さんと5名で打ち上げ会を行いました。
運動会の各組ごとに練習時間や応援練習時間が決まり、あわただしく運動会の準備に釣りくみました。夜には運動会前夜祭があり、常さんの同室の斉藤さんがかつらを持ち出し。ゲットの女性教師と意気投合していました。

5月31日(木)
 運動会当日は快晴となりました。朝早くからサルサ体操があったので、鉢巻をしながら参加し、朝食をとって9時集合の運動会に参戦しました。午前中の競技では栗城さんのいる赤チームが優勢でしたが、午後から私と常さんの参加した青チームが頑張り逆転優勝となりました。特に優勝のポイントは常さんが指導した「綱引き」の勝利が大きく影響しました。夜の運動会打ち上げでは優勝チームは100円でビールが飲めるとのことで、大変なお祭り状態になりました。

6月1日(金)
 運動会の関係で、午前中は何のイベントもなく午後にみんなでサルサとヨガがありましたが、寄港地情報「カリアリ」があったので、そちらに集中しました。また、2日の麻雀大会の受付が始まるので早い食事をとり、受付をしました。私は2日10:00~栗城さんは9:00~常さんは12:00~とのことでした。同室の柳野さんと加茂さんがベットの上下を交換しました。高年齢の加茂さんには気の毒ですが、柳野さんの主張もわかるので了解しましたが、少し我儘が出始めてきたようです。

6月2日(土)
 久しぶりの朝早くからのヨガでした。98回クルーズの第1回目の麻雀大会でしたが、125名の募集が64名に収まったので、栗城さん鈴木常司さんは9時からの競技に変更となりました。8時30分頃に会場に着くと、すでに大勢の人だかりになり8時45分には開会式が始まり9時の競技スタートとな5がつりました。栗城さんと常司さんは惜しくも一回戦で敗退しました。10時からのスタートの私は1回戦、2回戦と勝ち進みましたが、第3戦目で敗退、ベスト16で終わりました。
11時に1回戦が終わったので、みんなでサルサに参加しました。第2回戦は1時開会とのことで大急ぎで食事をして、第2回戦に挑みました。最初から90回クルーズで一緒した柚木さんが最終的に優勝しました。



6月3日(日)
 スエズ運河に入るということで、すべてのイベント企画が中止となり、朝の3時半から7階のフロントデッキが解放されました。私たちは4時にはフロントデッキに出て写真を撮り始めました。980円24時間パケット通信が可能となり、これまでたまっていたメールをすべて削除し、ライン電話やラインビデを楽しみました。常さんはライン電話で和子さんと話しているうちに、涙ぐんでいました。私も、我が家が恋しくなったので息子にラインをして、スエズ運河の様子をビデオで送りました。日本がエジプトに協力して作った、スエズ運河唯一の大吊り橋の下をくくって、常さんたちと合流したので、常さんの奥さんにテレビ電話をさせてあげました。大変喜んでいただけたのでよかったです。
今夜は、夕食後サルサのダンスがあるので恵庭の鈴木さんを誘って、踊りに行きたいと思っています。


98回ピースボートの旅5月17日~5月26日


2018年5月17日~26日

5月17日(木)
600~ヨガ体操720~健康サルサ体操でした。
私はプールが開いていたので泳ぐことにしました。昼食時だったので泳ぐ人もなく一人で30分程度泳いで、午後の講演を聞きました。下村健一さんは翌日のシンガポールで下船するとのことで、最後の講演でした。
テーマは「政権交代可能な社会の作り方」で民主党政権の挫折を中から見ていてわかったことでした。
民主党政権の樹立の第一歩から崩壊が始まってしまったとの話しで、鳩山総理が第一声で「国民の皆様」とはじまった時から「私たち感」はなくなったといわれています。
幼稚な政権がベテランの政権に挫折することとなった。それを指示した民衆の心が離れ一気に崩壊が始まった。民衆が育て育成する責任があったが生まれてすぐに育児放棄が始まった。
いわれてみれば、「悪いところはいくらでもあげられるが、よかったことを上げられなくなってしまっている」私たちに国民に責任があることも考えるべきと思いました。

野島剛さんの講演は台湾の「環島ブーム」についてでした。
台湾では一周1000キロメートルの島を自転車で数日かけて回るイベントが盛んに行われているとのことでした。自転車メーカーのジャイアント社が全面的にバックアップして、安全に周回できるように面倒を見てくれるようです。日本でも四国や琵琶湖一周、東北一周というブームが起こりそうとのことです。

横浜から一緒したビッキーがシンガポールで下船するというので、ヨガの市橋佳奈子さんと送別会をしました。よく日シンガポールを同行するアベちゃんと同室の鈴木女史が加わって、7名でのパーティとなった。ビッキーは優秀な女性の様で、香港大学を出て国の費用で日本の大学に留学してピースボートのアシスタントのような仕事をしているようです。佳奈ちゃんも前回の90回クルーズの以後、インドで再トレーニングをしてきたようです。6時から始めた宴会も9時を回ったころに栗城さんが寒気を感じたので、明日のシンガポール観光に備えてお開きになりました。波平のおすすめは「塩キャベツ」です。

5月18日(金)
 シンガポール7:00入港、6時より食事がとれたので準備をしていると、自由見学の方は8時前に下船可能との放送が入ったので、アベちゃんと鈴木さんに連絡して出発を早めました。
7;45には出国手続きを済ませ、ターミナルで日本円からシンガポール弗に両替しました。当初4000円のつもりでしたが、5000円出せというので両替すると他の4名はやはり4名で2000円を両替していました。地下鉄の切符を買おうとしていると、一日周遊券の販売があったので20S$で購入しました。そのうち10S弗は5時以降に戻してくれるというので、さっそく全員が購入して、最初の目的地リトルインデアンに向かいました。駅を降りて迷いながらもインド寺にたどり着きハラワタヲ食いちぎるような、鬼の彫刻を見たりしました。
買い物を楽しんで(なんでも3個10S$でスノーボール)、次の観光地に向かいました。イスラムモスクは時間が合わなく断念、近くのスタバでアイスコーヒを飲んで次の目的地のマーライオンに向かいました。マーライオンの近くからベイホテルが見渡せて、口からの噴水を浴びる形で思い思いに記念写真を撮りました。昼過ぎとなったので中華店でチキンチャーハンと高菜の野菜炒めのようなものを食べました。一人当たり2500円相当はちょっと高めでした。
そこで、私はハーバーフロントのターミナルに戻る予定でしたが、ガーデンズ・バイザ・ベイの植物園を見ようとのことで、そこまで行って別行動としました。
午後4時半にターミナルに着いたので、地下鉄の払い戻しをしようとしたら、5時をすぎないとオフィスが開かないとのことで、しばらくスターバックスでお茶を飲みながらWIFIを楽しみました。
5時になってようやくオフイスが開いて、返金を受けましたが、5時前からオーストラリアの人が話しかけてきて、会話を楽しみました。
再度、返金を受けたのでスターバックスに行って10S$を全部使ってコーヒーを飲んでWIFIを楽しみました。お腹もすいてきたので、8時ころに船に戻り遅めの夕食を取りました。エビが3~4本乗ったエビどんぶりでした。向かい側にGETCCというイギリス人の若い女性が座り、スタフに注文しました。そこにはエビドンではなくサラダから始まりスパゲッティーのコースでした。ベジタリアンなのかと聞くと、乗船前に注文が出来るようでベジタリアン料理を食べられるようです。また、左隣に若い女性が座ったので話しかけると、シンガポールから乗船したシンガポール人でした。彼女は英語と、広東語、中文語を流暢に話しかけてきて、私はたどたどしい英語で応戦しましたが、向かいのイギリス人と会話が弾んだようで、その速さについていけなくなってしまいました。食事も終わって、帰船リミットの9時半に近くなってきたので、部屋に戻りましたが、まだ帰ってこなかったので心配して、帰船デッキに行ってみるとちょうど栗城さんと常さんが戻ってきて、彼女たちと途中ではぐれて、大変だったとの話でした。
 その後、シャワーを浴びて寝ましたが栗城さんは声が出なくなり、その後回復までに時間がかかる結果となりました。
















5月19日(土)
寄港地の翌日の午前中はヨガ体操もほとんどのイベントもなく、できるのは午後のみんなでサルサでした。起きた時から栗城さんが、喉が痛く声が出ないと訴えていましたが、昼食をリドデッキでとって、私はプールで泳ごうとしましたが、いつまでもネットが張られたままで結局泳ぐことはできませんでした。昼食後も栗城さんの容態は回復せず、午後のサルサダンスも常さんと二人で参加しました。常さんは、自主企画の原稿を整理し、「きれいなバラを咲かせる」寝るときに時差調整のために、1時間ほど時間を遅らせたので、午後7時に就寝することとなりました。

5月20日(日)
  夜中の12時ころに目が覚めましたが、頑張って3時半まで寝ました。朝のヨガの開始時間は6時からで入場は5時50分でした。ところが基隆とシンガポールから乗船してきた中国人が時差調整を間違って、1時間ほど早く会場に来ていました。何とか説明をしたのですが、あわや混乱が起こる可能性もありましたので、担当者は早く来て状況を把握するべきと思いました。
 水先案内人の野嶋剛さんがスリランカで下船するとのことで、最後の講演となりました。テーマは「蒋介石と日本人」ということで面白そうなテーマでしたので3人で聞くことにしました。蒋介石は賛否両論がある中で、彼の日記がアメリカの国防省から公表されたことで、一躍話題となったようです。これほど、私的な日記なので注目されたようです。その後、常さんとDEサルサに参加しましたが、栗城さんは体調が戻らなく昼食時に合流しました。昼食をとっていると、急に船内放送があり、急病人が出たので近くの島によって病人を搬送するとの放送が流れました。船舶の航路を変更するのは初めての体験なので、驚きましたが、常さんの自主企画の申請もあって、見に行くことが出来ませんでした。夕食時に同席した女性からこの船の近くにボートが接近して患者を運ぶ様子を見たいと思って待っていたが、なかなか進まないので食事に来たといっていました。結局私の同室の82歳の加茂さんがスマホでその状況を写したものを見せていただきました。噂によると、インフルエンザの治療にあたっていた、看護師の女性が感染して緊急搬送となったとのことでした。事実かどうかはわかりませんが、今回の旅の始まりの大きなエポックとなりました。

5月21日(月)
 今日も時間調整で1時間ほど遅くヨガ教室が始まるのですが、日本人も含めて多くの人が1時間、間違って集まっていました。日本人は中国人と話が出来なかったので、何も言わずに自分も場所を確保しようとしていましたが、根気強く中国人に説明を繰り返し、日本人も含めて何とか5時50分入場開始を実現できました。栗城さんは目は覚めていましたが、やはり回復していなかったので常さんとヨガに参加しました。朝食にお誘いして4階レストランで粥を食べましたが、やはり食欲がなく、もう一日安静にしていきたいとのことでした。常さんは自主企画申請で、25日の13時から6階のアトランティックという部屋が確保できたので、さっそくに原稿を仕上げに入りました。結果、A43枚で1枚がカラープリントの原稿となり、当日の参加人数を10~15名と考えて、30枚から50枚のプリントとなりそうです。午前中に下準備が終わったので、みんなDEサルサに参加しました、田村さんからは皆勤賞と冷やかされましたが、いまいちスムーズには踊れませんが、キューバに着くまでには何とか習得したいと思っています。
 昼食後、久々にプールに水が張ってあったので常さんとおよぎました、ヨガの佳奈ちゃんがプールサイドにいましたが、まだ昼食をとる人が多く佳奈ちゃんは泳ぎたくないと見物していました。30分ほど泳ぎましたが、揺れがひどくなり水深180センチのプールの水が大波の様になって、ともすると、プールから放り出されそうになったのであきらめて、中止しました。
 原稿を読み直した常さんがもう一度訂正したいというので、パソコンで修正しPEFに変更し最終原稿を作りました。翌日にカラーも使ってプリントすることにしました。
今日も時差訂正が30分となり、夕食後訂正するとまだ5時台に就寝することとなりました。

5月22日(火)
 今朝はかなり早くに起きてしまったので、6時のヨガ体操の前にパソコン作業もしました。今回は5時50分前に入場している人もいなくなりましたが、列を並んで余分に場所を確保する人もいて、常連の方はちょっと気分を害したようです。栗城さんが5日ぶりにヨガに参加したので、佳奈ちゃんも喜んでいました。栗城さんはサルサ体操に出て、その後朝食を一緒にすることにして、常さんとも解散しました。朝食で自主企画の準備状況と昨日までの経過説明を確認して、栗城さんはスリランカの水先案内人のお話を聞きに行きました。 みんなdeサルサはお休みだったので、常さんと自主企画のプリントを作りました。売店で1000円分のカードを購入しましたが、常さんの持っていた300円のカードの残数14枚と合わせて、14部作成しました。カラープリントが5倍のポイントとなり、1300円のカードの残りが、後、白黒、17枚となりました。
 昼食はパリアッテレ、か 冷麺、か かつ丼ですが、9階のリドデッキを中心に冷麺とパスタのはしごとなりそうです。午後は寄港地情報と航路説明会で忙しくなりそうです。
 90回クルーズの時に一緒したあくね(阿久根・もみ)さんかラインの茨城県人会のグループにラインメールの伝言を頼まれました。主に、原島、佐藤さん宛ですが、別件でNAOさん宛にも依頼されました。スリランカでWIFIが繋がったらアクセスするつもりです。
 夕食時に常さんの同じ部屋の斉藤さんの誕生日だったので、常さんが音頭を取って夕食誕生会を開きました。合わせて11名の参加者でしたが、普段でも誕生会はしていただけないのにうれしかったと本人は感激していました。

5月23日(水)
 スリランカのコロンボに寄港するのですが、21日に急病人が出て遅れが出たのと、海が荒れて到着予定が約3時間以上遅れてしまいました。入港予定が9時から12時に変更になった関係でいくつかのオプショナルツアーが中止、あるいは振替コースとなりました。常さんは前日の斉藤さんの誕生会の2次会に出席をして、4夜遅くまで飲みすぎたようで頭痛がするといって、オプショナルツアーの参加を断念しました。船内のWIFI環境が悪く、100分2100円のITカードを購入して、アクセスするのですが、アイホンとマイクロソフトのPGではやっとつながりますが、ドコモのアンドロイド系では難しい状況でした。そこでAUから提案のあった24時間980円パックを使いました。港に入ったあたりから使えるようになりましたので、常さんのラインを動かして、奥さんと連絡を取りました。その後 私の通信は快適になりましたが、船に戻ってからは回線が遮断されるようになり、通信が困難になりました。

オプショナルツアーは1時ころから始まり、ヒルトンホテルの食堂でスリランカカレーの昼食をいただきました。バスの車窓を楽しみたかったのですが大雨が降ってきて、次のコロンボ国立博物館ではすっかり濡れてしまいました。その次のキャラニア寺院は靴を脱いで裸足で入場しました。車窓から国会議事堂を見ましたが、雨もありあまり感動する場所ではありませんでした。交通状況の悪さに辟易しました。夜遅く10時近くに帰ってくると、常さんが体調がよくなったので3時ころに外出したようですが、あわや恐喝事件に会いそうになったとのことでした。疲れ果てて、11時ころには就寝しました。


5月24日(木)
 寄港日の翌日は「ゆったりディー」ということで、朝のヨガやサルサダンスはお休みでした。
朝食後は麻雀にいそしみ、初心者だというアベちゃんのわれら3銃士でゲームを楽しみました。
昼食をはさんでほかの方と麻雀をして、運動会の青団・緑団の合同交流会に参加しました。常さんや鈴木さんと一緒の組で、検討することを誓い合いました。青団は1月5月12月生まれの方でした。

5月25日(金)
 栗城さんは久しぶりのヨガ参加となりました。通常に健康サルサとみんなでサルサに分かれ昼食度、常さんの自主企画の「きれいにバラをさかせる」を開始しました。ホワイトボードやプリントの準備をしましたが、予想外に大好評で31名の参加となりました。14名分の資料しかなかったので、終了後に常さんが増刷して各部屋に配布しました。配布後に10回フロアーの方の参加もあり、常さんが部屋まで行こうとすると船の乗務員に制御されて、部屋には行けなかったようです。レセプションに預けて、麻雀友達の石川さんの部屋に行くと、花瓶に花が活けられていたようです。次回の講演にバラがあれば活用したいと思っていましたが、生憎とバラはないようでした。プレゼントに虎屋の羊羹をいただいて帰ってきました。次回は後半の2つのテーマで30日に行う予定です。私は、90回クルーズの方々から頼まれて、28日19時から波へいで交流会をすることにしました。28日の新聞に掲載予定です。

5月26日(土)
何時ものように朝のヨガで、恵庭の鈴木さんとお会いして、サルサダンスの後鈴木さんのお部屋でお茶会をすることにしました。サルサダンスにはヨガの佳奈子さんも参加して、初めて踊ったサルサですが、とても上手になったようです。鈴木悦子さんはステップが出来ているのですが、ペアでのサルサは初めてとのことで、特訓をしましたが不安げでした。
昼食後に鈴木悦子さんのお部屋にお邪魔して、おいしいお茶をいただきました。常さんがお菓子を持参していきましたが、結構お菓子も豊富で、全部は受け取っていただけませんでした。
恵庭に15歳まで生活して高校から東京、その他転々としてご主人の退職後にまた恵庭に戻り住んでいるとのことです。一人部屋で冷蔵庫とウォシュレットが装備されているお部屋とのことで、この部屋を選んだとのことです。栗城さんも常さんも驚いていました。
この日も時間調整で前日より1時間遅くなりました。合わせて日本時間と5時間ほど遅くなったようです。