2018-08-01

ピースボート98回クルーズ2018年7月1日~7月9日


2018年7月1日~7月9日
7月1日(日)
 ノルウエイのベルゲンに寄港したので、翌日は何もないと思っていましたが。朝早く日の出とともにフイヨルド遊覧というイベントが始まり、ピースボートの船自体がノルウエイ最大のフイヨルド・ソグネフイヨルドと世界遺産に登録されているネーロイフイヨルドを遊覧しました。このため朝から夕方まで、ヨガもサルサも社交ダンスも企画がなく、ただ食事の時間にフイヨルド鑑賞を休んでカメラを持って走り回るという一日でした。

 
7月2日(月)
 久しぶりに、朝6時のヨガとなりましたが、市橋佳那子さんが帰郷したために録音テープでのレッスンとなりました。社交ダンスは朝9時から開始、10時からレイキャビクの紹介、11時からサルサ練習と午前中は、分刻みの過密スケジュールとなりました。昼食が醤油ラーメンということもあって、社交ダンスパートナーのすずさんも加わりサルサグループでの昼食となりました。加えて、社交ダンスの先生が生バンドの場所で再度練習をということで、夜の2200過ぎまで踊り明かすこととなりました。しかし外は明るく、日の入りが2300ということですっかり夜更かしとなりましたが、楽しいひと時を過ごしました。

7月3日(火)
 朝から大荒れの天候で、船は大揺れでしたが、朝6時のヨガ体操は録音テープでの自習練習は行われました。他の健康サルサや社交ダンスも予定通り行われました。9時からの社交ダンスはダンスパートナーとサルサダンスまでの3時間20分を続けて踊ることとなりました。12時半に昼食をとったのですが夕刻まであまり良い企画がなかったので、また昼寝をして3時半からの「南極・北極を取材した12年」という朝日新聞社の中山由美さんのドキュメンタリー映画を見ました。活動的な彼女の生き方に触発されるものがありました。夕食は社交ダンスパートナーのすずさんが同行したいとのことで、いつものメンバーに加わりました。翌日はレイキャビクも同じオプショナルツアーを取っていたので、一緒のバスにすることで計画しました。

7月4日(水)
 レイキャビックの観光は朝645分から出発とこれまでになく早い出発となりました。バスに揺られて1時間ほどで、シングヴェトリル国立公園に行き、ユーラシア大陸とアメリカ大陸プレートの裂け目を体感しました。次にゲイシール(間欠泉)を見学、ストレックルという名前の付いた間欠泉もあり見ていた15分間の間に大小3回の吹上がありました。やはり壮大だったのはグトルフォスの滝でした。黄金の滝とも呼ばれていますが、氷河から溶け出した豊富な水量には迫力がありました。食事をバスで一緒となった7人で取りましたが、集合時間やバイキング方式での問題で不公平な状況が出てきました。旅行も55日目となり半分以上を経過すると我儘な人も出てきて、感情をあらわにされる方も多くなってきました。旅の楽しみ方はそれぞれにあるのですが、お互いに譲り合ってのお付き合いが必要なようです。





7月5日(木)
 寄港地明けでしたが、朝の555分に北極圏(北緯6633分以北のこと)をオーシャンドリーム号としては初めて、6655分まで走行したようでした。


栗さんは朝の4時から甲板に出て流氷やクジラが見えないかを期待して、出かけましたが生憎とガスというか霧がかかって視界が悪くなっていました。7階の甲板デッキが公開されたので、船の先端に行きましたが、ほとんど見えない状態でした。朝6時ころになって少し日差しが出てきたので、ピースボートスタッフの用意したボードを使って記念写真を撮りました。午前中はサルサダンスがあったので、10時から社交ダンスの自主練習を開始し、11時半からのサルサダンスに参加しました。朝食後はまた睡魔に襲われ1時間ほど眠り、3時からの寄港地情報(カナダ・ハリーファックス)と(USA・ニューヨーク)を聞きました。牛久の中田実可子さんがすごく頑張っていました。ハリーファックスと・ニューヨークは自由行動としたので、丹念に情報を集めました。今日は時差調整日となって、1時間ほど遅らせています。これで日本との時差は遅れること10時間になる予定です。

7月6日(金)
 今朝は朝4時に起きましたが、すでに栗さんが出かける準備をしていましたが、生憎と雨が降っていて白夜の日の出は見ることはできなかったようです。すでに同室の年長者は3時ころに甲板に出ていたようで、雨が降っているとの情報を栗さんに伝えたようでした。話によると鈴木常さんは朝の3時まで起きて、白夜を楽しんだようですが5時ころに表れて、2時間ほどしか寝ていないと豪語していました。結局、朝霧のような窓の外の風景を楽しんだようです。朝6時からのヨガの自主練習では結構人が集まっており、睡眠不足の常さんも参加しました。そこでバンビさんやすずさんから、昨夜、6時ころからダンスの広場がありワルツやジルバの練習があったので練習をすればよかったとの話を聞きました。
 ヨガが終わった後栗さんはサルサ健康体操へ鈴木常さんは食事後、仮眠をとるといって部屋に戻りました。私は9時からの社交ダンスに参加し、バンビさんとすずさんと数人でワルツの自主練習を行いました。続けてみんなでサルサにも参加しましたので、午前中はダンスでいっぱいとなりました。社交ダンスもサルサも78日のダンスパーティーに参加する人を募集していましたが、私と常さんがサルサダンスにエントリーしましたが、栗さんもすずさんも観戦する側になりました。
 夕刻、美容室の予約をしていたので3人で整髪をしてきました。水先案内人の中川由美さんの講演がありましたが、美容室とダンスパーティーに向けたリハーサルのため参加できませんでしたが、多くの人が参加したようでした。
今日も1時間ほど時間を遅らせることになり,日本との時差は11時間となります。明日と明後日にも30分づつ遅らせるので、明後日には12時間の時差となるようです。ちょうど半日違いの生活が始まります。

7月7日(土)
 今朝は4時に起きました。数日前からPCの調子が悪く修復に頑張りましたが、やはり佳那子さんからのメールは読めない状況でした。朝のヨガの自主練習をして社交ダンスの練習に行きましたが、揺れがひどく社交ダンス大会のビデオを見る会となったので、社交ダンス練習は中止となりました。時間が余ったので、社交ダンスパートナーのすずさんとこの後の寄港地情報の交換をしましたが、一緒のオプションはほとんどなかったようです。
カナダへの税関申告書記入を済ませて、水先案内人企画の「ICANと核兵器禁止条約」についての講演を聞きました。77日は核兵器禁止条約が制定された歴史的な日の1周年。この一年で何が行われ、これからどうなるのかの話でした。英語での講演のためか参加者はあまり多くはなかったでした。昼食後カナダ人のマイケル・マグワイアーさんからカナダ全般のお話を聞きましたが、ヨーロッパからの移民による国造りとか先住民族との問題とかカナダが抱える問題を話していただきましたが、今回も英語での公演だったため参加者は少なかったです。
3時から明日のダンスフェステに向けての練習がありましたが、ダンスパートナーのすずさんは船が揺れるので、不参加となりました。常さんと私はサルサ演武に登録していたので、練習を進めました。
 今日は七夕ということで、パーテー&デナーということで、私と常さんは背広を着ましたが栗さんは浴衣を着て、ディナー参加となりました。8階のダンス会場の前の七夕で記念写真を写し、4階のディナー会場に行くとやはり浴衣を着た女性が多くあらわれ、栗さんは手当たり次第に記念写真を撮っていました。こんなイベントも結構楽しめるようです。


7月8日(日)
 朝3時台に目覚めましたが、船は大きく揺れていました。アイスランドからカナダのハリファックスに向かっていますが、北極圏に突入してから南西に向かいグリンランドのケープフェアウエル岬を通り7日正午にはラブラドル海沖を通過、8日正午にはベルアイル島沖を通過しベルアイル海峡からセントローレンス湾を通るのですがとても寒く大きな波が立っていました。5階フロアのレセプションに行くと比較的若い女性が、2段ベットのはしごが外れて床に投げ出されたといって、深夜担当のスタッフに抗議をしていました。軽い打ち身で済んだようですが、他にもはしごから落ちた人もいて、揺れる日は特に注意が必要です。朝5時半になったのでヨガの自主練習の会場に行きましたが、スタッフのチャアリーさんがいち早く自主トレ中止の案内を出していました。栗さんの健康サルサ体操も中止、その朝のラジオ体操も中止となっていたので、それぞれが食事に行くこととなりました。
 9時になって社交ダンスのスクールに行くと、夜のダンスパーティに向けての準備に大わらわとなっていました。特にジルバの出場者は最後の練習なのでペアで参加していました。私のダンスパートナーのすずさんは、9時に来ましたが揺れがひどくて立っているのも大変ということで、社交ダンス練習はあきらめることとしました。しかし、ジルバを踊るペアの男性が来ていないとのことで、相手役を頼まれたので、できる範囲で協力することとしました。
 10時半頃常さんが会場に来て、氷山が見えるといってカメラを片手に現れましたが、会場の外のデッキは冷たい風が吹き、ドアを開けるのも一苦労するほどでした。遠くに見える氷山でしたが常さんはカメラに収めたようでした。
 昼食をとっていると右舷側に大きな氷山が現れ、栗さんと大急ぎでカメラを持って写しました。しばらくカメラを片手にデッキにいましたが、指先も体も冷えてきたので氷山撮影は断念し、12日のニューヨーク関連の資料を作ることにしました。ニューヨークの地図にミュージカル会場のマジスチックシアターや食事の会場をプロットして各人へ渡しました。
 夕方17;00にダンスパーティのリハーサルに参加して、食事を済ませた後20:00からのダンスフェステバルに参加しました。サルサダンスは5番目の出場でしたので栗さんに写真撮影を頼んで、踊り終わった後は疲れ切って早めに就寝しました。


7月9日(月)
昨日に比べて幾分暖かく、揺れも収まったようでした。ヨガの自主練習も参加者が少なくなってきましたが、チャアリーさんが頑張って「太陽礼拝」まで行いました。田村美和子さんのみんなでサルサが無くなったので、久々に健康サルサの体操に3人で参加しました。
私とダンスパートナーのすずさんと久々にジルバとワルツ、ルンバの練習になりました。今回からタンゴが加わって、いよいよ難しくなってきました。今回の船で、サルサから始まり、ジルバ・ブルースそしてワルツとルンバそしてタンゴになるのですが、6種類の踊りが踊れるようになりそうです。ダンスパートナーのすずさんのおかげです。午後からピースボートの映像チィームが作った「地球半周の軌跡」というビデをを見ました。出始めから常さんや栗城さんと私の映像が現れ、見送りに来た常さん一家の映像もありました。途中でも要所要所で3人の姿が見られ常さんはこれが売り出されたら必ず買うと息巻いていました。
14時にニューヨーク訪問グループの結団式を行いました。佳那子さんが帰国してすでにニューヨーク入りしているとのことですが、WIFI環境が悪くうまく連絡が取れていなく、米国への入国対面審査などが時間がかかりそうなので何かと心配ですが、早めの対応で頑張りたいと思っています。
水先案内人の朝日新聞社の中山由美さんの講演を聞きました。南極と北極に長期取材の体験談を交えての話でしたが、多くの参加者がありました。深刻なのは地球の温暖化、それも人間の欲望によって自然破壊を繰り返すことで、地球全体が壊れていってしまっているとの主張には賛同しました。

ピースボート98回クルーズ2018年6月26日~6月30日


2018年6月26日~6月30日

6月26日(火)
 スエーデンのストックホルムに朝の7時に入港しました。8時にはオプショナルツアーで市庁舎やフイエルガタンや王宮の見学をし、1515分にオプショナルツアーを離団して、船に帰線することにしました。市庁舎ではノーベル賞の授与式や舞踏会の会場を見学し、ノーベル記念館でノーベルの金チョコレート10個入り130ユーロで購入しました。税金が戻ってくるというのでその申請用紙をもらってきました。全部で430ユーロなので100ユーロくらい戻るとよいと思います。
離団してからいくつかの店を回りましたが、物価が高くお土産の木馬が有名ですが、17000円近くするのでビックリでした。スーパーに寄りたいという栗城さんの申し出を無視して、帰る途中にあった、PUBでコーラとビールを注文しました。常さんと栗城さんはWIFIが繋がる店でしたので喜んでいました。久々にWIFIが繋がったといって大阪の安否確認をした同行者もいました。それなりに満足のスェーディンでした。





6月27日(水)
 寄港地明けということで、9時からバンビさんとすずさんと社交ダンスの練習をしました。11時にはイベントが入っていたので、そこまでの時間しか取れませんでしたがある程度の練習が出来ました。620日に声が出なくなって診療所のお世話になってから1週間がたち、薬もなくなってしまいましたので、改めて診療所に行くと待ち時間が3時間以上となりました。久しぶりの開診療日でしたので、多くの方が殺到したようです。昼食をとってわくわく寄港地「コペンハーゲン」の情報を聞いていると、英語だけでスタッフだけに通じる暗号メッセージで緊急集合がかけられていました。寄港地情報を聞き終えて、診療室に行くと緊急診療が発生して一般診療は一時中止の張り紙がなされていました。仕方がないのでしばらく待っていると、緊急のけが人が出たので、部屋で待機するように言われました。そのあと放送があって、けが人をヘリで緊急搬送するのでそれが終わってから通常診療を開始との連絡がありました。休むつもりだったヨガ教室を途中から参加して、ヘリで運ばれたのは私ではないと、常さんと栗さんに証明するつもりで参加しました。
帰ってくると診療室から呼び出しがあり、診療室で待機しました。結局夕食の17001800には間に合わなくて、9階のリドデッキで焼き鳥どんぶりを食べることとなりました。診療を受けて、前回の薬がほとんど効いていないというと、今回は大量の薬を渡されました。診療費は10700円となりました。その日の夜から大量の薬を飲むことになりました。

6月28日(木)
朝起きるとヨガの佳那子さんからメッセージがあり一時帰国するとのメッセージがありました。驚いて、電話をするとまだ寝ていたようで、昼の飛行機で神戸に帰るが、ニューヨークまでには帰ってくるとのことで、計画を継続することにしました。朝の7時にデンマークのコペンハーゲンに入港しました。オプショナルツアーでクリスチャンボー城やローゼンボー城を見学レストランで名物料理のサンドイッチをいただきましたが、前日からの薬の影響かものすごく眠たくなり、アンデルセンの人形姫を見る頃にはフラフラになってしまいました。ツアーは1515に終わりましたが、帰船リミットが19時でしたので帰船してそのまま帰船して、夕食までじっくりと睡眠をとりました。幾分薬が効いてきたようで咳は止まってきましたが、胃の調子が悪くなってきました。



6月29日(金)
 寄港地明けということで、午前中のヨガの教室はなかったのですが、10時からカルチャースクールの社交ダンスがあったので、12時まで十分に練習をしました。1時からすずさんのところで以前購入したチェリーとブルーベリーでお茶会をして、1400からのわくわく寄港地「ベルゲン」に参加しました。そのあとヨガ・カルチャースクールがどのようになるのかを確認してきました。
結局、担当のチェアリーが佳那子さんの声の録音を流し、そのあとは太陽礼拝を中心にニューヨークまで続けるとのことでした。バンビさんとあったので、バイーアでの生バンド付のダンスをしようとのことで話がまとまり、初めて、生バンドでの社交ダンスを踊ることとなりました。

6月30日(土)
 前日は遅くまで踊っていたにもかかわらず、目覚めもすっきりでした。ノールウエイのベルゲンに朝の800に入港し900~オプショナルツアーでハタンゲンフイヨルドの観光をしました。
ノールウエイでも2番目に大きなフイーヨルドということで、さすがに迫力がありました。






2018-07-06

ピースボート98回クルーズ 2018年6月15日~6月25日


6月15日(金)
 お市さんの約束通りに朝600~ヨガのレッスンがありました。社交ダンスのワルツレッスンに出てみると10名ずつ区切って、男女が組み合わされ練習が始まりました。初めて朝レッスン参加したので基本もわからずに戸惑ってしまいました。相手に気の毒でパスしようかと思いましたが、講師の先生からわからないから練習しなさいと言われて頑張りましたがかなり困難でした。わくわくルアーブルの情報を聞いて、とても眠たくなってきました。前日の疲れが出てきたようで、午後3時ころから夕食までぐっすりと寝てしまいました。夕食を終えてやはり眠たくなったので早々と眠りました。この日は1時間ほど時刻を早めるという逆時差になったので、夕方7時に寝ても8時に寝たことと同じになるといって早めに眠りました。ところが夕方の船内新聞の配布とともにモンサンミッシェルのバズチケットが入手できるという情報が入り急遽、常さんはやはり行きたいというので、どうするかを検討し、常さん一人で行くことになりました。栗さんと私は大島女史を頼って、エトルタ観光を行うことしました。

6月16日(土)
 前日が早く寝たせいで、早々と目覚めました。ヨガ教室に行くと朝600のスタートにまだ間に合わない人が多くなっていました、前日に時間を1時間ほど早める作業を怠ると、5時になっていて遅れていたようです。いつもの3分の2程度の人数で始まりましたが、恵庭の鈴木さんも頑張って、ヨガに出てきてその後の社交ダンスやサルサダンスもやろうということで、午前中3時間ほどワルツとジルバ、ブルースそしてサルサの練習をすることとなりました。食後の吉岡淳さんの世界遺産と私の講演を聞いた後、ベルゲンもフイヨルド観光が可能となり、阿部さん三浦さんに断りを入れて申し込むことにしました。恵庭の鈴木さんと琵琶に似た果物を食べて、お茶会を行いました。

6月17日(日)
 朝6時にフランスのルアーブルに着きました。早速にパスポートの配布が始まり8時ころに船を出発してエトルタに向かうことにしました。あまりに早く出たのでシャトルバスもなくバスのチケットを購入しないで、タクシーで駅に向かいました。ちょうど駅に行く人がいましたので、一人2ユーロで駅まで行くことが出来ました。駅からエトルタまで125ユーロで往復と2時間の待ち時間込みで交渉が成立して、出発しました。駅からエトルタまでは30分程度でした。少し雨模様となりましたが、天候も持ち直して帰るころには暑いくらいになってきました。1030分にエトルタを出てルアーブルの街に1110に帰ってきました。床屋を探しましたが、日曜はお店屋さんが休みということで床屋はやっていないとのことでした。近くの朝市に行ってオリーブや果物を買おうとしましたが、昼食後がよいというので後にしました。昼食はチーズの盛り合わせとピザパイをシェアして食べました。一人前ずつ2品頼みましたが、3人で食べて十分でした。食事が終わって教会を観光して、大きな市場に向かいましたが、途中でピースボートの若者集団に会いましたが、スーパーマーケットは午後1時で終了しているとの情報でした。日曜はどの市場も朝市で午后には終了するとのことでした。仕方なく駅に行ってそこの売店で切手とお菓子を買ってタクシー乗り場から船に直行しました。日曜はほとんどのお店も閉まっていて、観光地以外は静かなものでした。



6月18日(月)
 寄港地明けということで、午前中は何のイベントも体操もダンスもなく、第1回目のヨガは1620分からでした。しかし、いつものように朝4時に目が覚めたので、常さんを誘って6時からモーニングコーヒーを飲んで続けて4階のレストランで食事をしました。常さんは、モンサンミッシェルがとてもよかったと、感想を言っていました。キャンセル待ちでバスだけを確保した人がとてもラッキーな観光をすることが出来たようでした。よかったです。8階で水を補給しようとしていると。大阪で震度6の地震があったとのことでBBCニュースを見た人が騒ぎ始め、ピースボートの事務局に連絡をすると早速に状況を掲示板に張り出していました。昼からのヨガということで参加者は非常に少なく、内部の円状のステージはがら空きでした。しかしコーチの佳那子ちゃんは果敢に新たなポーズを紹介し始めました。有名な「太陽礼拝」のポーズの練習を始めました。22日から6日連続の休暇となってしまうので、その前に各自でできるポーズを紹介したいとのことでした。その後、7階ブロードウエイトいうところで社交ダンスの広場があったので、舞台には上がらず、すずさんを誘ってひたすらワルツの練習とブルースの練習を行いました。しかしまだ、公衆の面前で踊れるほどの状況ではなく、下船する前に行われるであろうダンスパーティに向けてひたすら練習することにしました。栗城さんがやはり「のど」の調子が悪く、診療室に行くとのことで、常さんと一緒に同行しました。常さんはランウエイ・ファションショーに出るというので紙おむつをゲットすることを口実に、栗さんの診察に付き合いました。結局3人で連行したような格好で診療室に行きましたが、病状は軽く肺もインフルエンザも関係ないとのことでした。喉の炎症止めと咳止めをもらって帰ってきました。常さんは、売店で紙おむつを購入して予行練習に余念がありませんでした。

6月19日(火)
 久しぶりの6時からのヨガでしたが、すっかり寝込んでしまい530分に目覚めました。急いでいくと既に栗さんも常さんも来ていて、すずさんと同じころに列に並びました。何とかヨガを終えましたが、最後のポーズで「死者のポーズ」で気絶したようで、記憶が飛んでしまいました。いつものように栗さんは健康サルサ体操に私たちは食事をしてからみんなでサルサに参加することとなりました。それに加えてはじめての社交ダンスに参加して、わくわく寄港地サンクトペテロブルグを聞き、それからみんなでサルサに参加と午前中は大忙しとなってきました。社交ダンスではジルバからブルース、そしてワルツとなりこの日からルンバが始まり途中から始めたので基礎がなく困ってしまいました。さらにサルサは最初から参加していましたが、新たなステップというか技が出てきて、すずさんと混乱する事態となってしまいました。昼食を9階でフォーとアジフライという組み合わせですずさんを誘って食べました。その後、部屋に戻るとハウスキーパーといって部屋の掃除が始まり、追い出されたのですずさんとフレッシュジュースを飲みました。
 この日は、ディナー・パーティということで正装して4階のレストランで食事をすることになっていましたが、その日はランウエイ・ファッションショーや仮想パーティがあって、常さんは顔に化粧をしたまま正装をすることとなりました。食事をして、ランウエイ・パーティの常さんを応援しましたが、そのころから声が出なくなってしまい、その後フォーマルウエアを脱いですぐに寝ました。

6月20日(水)
 朝は起きられましたが、朝から体調は良くなくこの日は午前のヨガ、初めての社交ダンス、わくわくロンドンを聞いて、社交ダンスに戻るとすずさんは朝から続けて練習をしていたようです。サルサの新技術を何とかしたいと思いましたが、新たな技術も加わりさらに大変な状況となりました。
午後に、いよいよ声が出なくなったので、診療室に行って薬をもらうことにしました。やはり風邪とかインフルエンザではなく、気管支炎のようですが薬をもらって治療に専念する予定でしたが、夕刻からわくわく寄港地ヘルシンキが始まり、それを聞いて夕食としました。常さんの友人の誕生パーティということで、夕刻630分からバイヤーという生バンドの酒場に参加する予定でしたが、薬を飲んだこともあり今回は辞退することとしました。栗さんと鈴木常さんはしっかり参加して、サルサのステップで全てのダンスをこなしたとのことです。すごいものです。

6月21日(木)
 薬で少し改善されたが、本調子ではなく咳が時々出ました。ヨガの会場は6時でも人数が少なくなってきていて、前日夜の時間調整がうまくいかなかったようで、常さんも540分に電話で起こす事態となりました。船内新聞を見るとみんなでサルサがなく行われないので、久しぶりに健康サルサを栗さん常さんと3人で参加しました。彼らは社交ダンスに関心がなく、床屋の予約を済ませて私は社交ダンスに参加しましたが、彼等は麻雀に行ったようでした。2時間ほど社交ダンスの練習をしてその後、サルサの練習を行いましたが、午後からのパスポートの受け渡しと、その後のくわくストックホルムと「航路と航海の雑学」があるので、せかされながらも昼食をとりイベントを聞きました。夕食は5時半からユミさんを交えてしばしの寄港地連続の間、ヨガ仲間と会えなくなるのでお互いに健康に注意するように励ましあいました。
 明日は、早い方は朝の715分に出発とのことで、準備に余念がありませんでした。

6月22日(金)
今朝は4時に起きましたが、明るい朝でした。6時にサンクトペテロブルグに入港8時の出発でピヨートル大帝の夏の宮殿庭園に行きました。噴水の素晴らしい講演でした。気温が低く寒い一日でした。雨が降らなかったので助かりました。


6月23日(土)
 前日に続き、サンクトぺテルブルグの観光でした。エミタージュ美術館を中心に「血の上の救世主教会」とイサク聖堂を見学しました。この日はワールドカップが開かれていて、通常の観光客に加えてサッカーファンが来ていて、いたるところでサッカーのユニフォームを着た外国人を見かけました。日本は初戦を2-1で勝っていることから、第2戦への期待が高まっているようでした。
エミタージュ美術館の美術品は近代のピカソを含め多くの貯蔵品があるとのことでしたが、見学しただけでも多量の美術品がありました。優秀なガイドのせいもあって効率よく鑑賞することが出来ました。他の教会も見学しましたが、美術館に劣らず素晴らしい美術品がありました。


6月24日(日)
 前日の夜にサンクトぺとルブルクを出発して、フインランドのヘルシンキに午前11時ころに着きました。そこからオプショナルツアーで要塞スオメンリナ島の観光船での周遊を楽しみヘルシンキ中心街の観光をしました。夕刻17時にツアーが終わったので、ツアーから離れて露天市場でチェリーとブルーべリーを購入して、デパートに行きムーミングッツを買い、歩いて帰線しましたが、市場からの道を間違えてしまい、夕食のタイムリミットぎりぎりとなってしまいました。それでも途中でムーミングッツの店舗で購買もでき、急ごしらえの8人の離団グループは夕食に間に合い改めて自由な観光の楽しさを味わいました。この日は、帰船リミットがなく翌日の1100までに戻ってくれば良いとのことで、帰ってこない方も多くいたようです。



625()
 寄港地明けということで、午前中のイベントは何もなく翌日のスエーデンへのパスポートの受け取りがあるだけでした。そこで、湘南のビーバーさんとすずさんと社交ダンスの練習をしました。
カルチャースクールの先生も加わっての練習となりました。本来はワルツの練習を重点に進めたいと思いましたが、現在のカルチャースクールの重点がルンバとなっているため、ルンバの練習が中心となりました。結局9時から11時ころまで自主練を行いましたが、カルチャースクールの先生が、帰船リミットの11時にどのくらいの人が遅れてくるのかを見たいというので自主練を終了しました。この日はまた時差調整があり1時間ほど長い一日となりました。


2018-06-22

98回ピースボートの旅2018年6月4日~6月14日


98回ピースボートの旅
2018年6月4日~6月14日
6月4日(月)

 昨夜の時差調整は船が西に進んでいるのにかかわらず、1時間ほど前に進めるものでした。おかげで夕刻がとても遅くなっていて、夕刻の7時というのに太陽が西の空に煌々と輝いています。
昨日のスエズ運河通過で、一日中イベントがなく今朝は寝不足のまま朝のヨガ体操、わくわくバルセロナ紹介やみんなでサルサなど、忙しく過ごしました。ブルガリアの説明会では居眠りをしてしまいました。みんなでサルサでは恵庭の鈴木さんとジルバの練習もしました。社交ダンスの会では一緒にジルバでも踊りたいものです。
 
6月5日(火)
 朝700にギリシャのサントリーニ沖に停泊しました。あさ600に停泊したのですがタグボートが迎えに来るのは800ということで、朝食を済ませて待機していました。PBからは街中はすりやひったくりが多いので十分注意するようにとの案内でした。実際にはフィラの人込みを歩いていてもそんなに心配するほどのものではありませんでした。最初にイアのアクロティ遺跡を見ました。3700年前に噴火によって埋もれて町とのことですが、ほとんど雨の降らない土地の様でその当時のフラスコ画が色鮮やかに残っていたようです。灰と湿気の少なさが染料をそのまま保ったのではないかといわれていました。ただ観光地なので物価が高く土産物も後で行ったピレウスより倍近いものでした。浅草の土産物屋のようなにぎわいの中で、しきりと日本語も混ぜて語りかけて話してくれるので、十分に買い物も楽しむことが出来ました。帰りのケーブルカーで今回のクルーズのチーフデレクターの田村美和子さんとマリンさん、そしてクルーズナビTVのスタッフと同じカートに乗ることになり、旅の感想などが求められました。栗城さんは期待通りと応え、常さんは昼食の時にビールが瓶のままに出てきたのを、中学校以来のラッパ飲みを体験したと答えましたが、あえなく常さんの感想はカットされてしまいました。

6月6日(水)
 続けてギリシアのピレウスに来ました。アクアポリスの丘に上がりパルテノン神殿をまじかに見ました。丘の上からは遠く地中海を眺め眼下に港や町並みや遺跡を一望しました。パナティナイコ・スタジアム(近代オリンピック第1回開催地)を見たり、ゼウス神殿を眺めました。市内プラカ地区で昼食をとって私たちはツアーから離団して、自由見学としました。昼食をとった後博物館を探していると22歳の女性二人が一緒に行きたいといってきたので、総勢8名の団体行動となりました。彼女たちの案内でアクアポリス博物館に行きました。こちらは2700年前の遺跡とのことで前日のサントリーニ島よりも1000年も後の文明ですが、大規模な神殿や大理石を使った建造物が多く残されていました。見学の後、船に戻るために地下鉄に乗りましたが、途中で下されてしまいました。何かストライキがあったとのことで、その駅からバスで移動するようにと言われ、8名の難民となってしまいました。バス停には多くの人が群がり、何とか乗り込んでも満員で身動きが取れない状況でした。さらに、この道は間違っているので戻ったほうが良いとかさまざまなアドバイスがあり、結局、一度バスを降り次のバスにまた乗り適度なところでおりました。そこに韓国人の青年が現れ、ピースボートの船までは歩いて10分程度とのことで安心して夕食会場を探しました。レストランに入ると通称チアリさんとマリンさんの二人が食事をしていたので、アドバイスを受けながら8人でリブステーキやリゾットパスタをシェアしながら会食をしました。すでに夜の1000近くになって市橋佳那子さんに連絡を取りニューヨークのミュージカルのチケットを予約しました。インターネット回線が繋がっているうちにと思い、7121400からのチケットを8名分用意しました。バーチャルチケットが遅く結局深夜1200近くまでかかってしまいました。

67日(木)
 朝のヨガは中止となっていましたが、1000~ヨガが始まりました。そこに、女優の東ちずるさんが加わり一緒にヨガをすることになりました。私たちのヨガ仲間のすぐ目前でヨガを始めました。かなり柔軟で開脚前屈でも胸がつけられるほどに柔軟な身体でした。その後、恵庭の鈴木さんと昼食後にお茶会をすることにして、菓子を持参して九州の知覧茶をいただきました。栗城さんも常さんもすっかり満足していました。その勢いでみんなでサルサに参加しましたが、サルサ会場にも東ちずるさんと俳優の照英さんが参加して、いましたがやはり栗さんは尻込みして途中で断念してしまいましたので、その後、恵庭の鈴木さんとジルバの練習を始めることにしました。
 その後古代ローマ文明の講演を聞きましたが、睡魔に襲われ居眠りをしてしまいほとんど内容を覚えていませんでした。夜にクルーズナビTVに出るというので、見るとしっかり映っていました。
それ以来、テレビを見ましたと声をかけられる機会が増えてきました。

68日(金)
 前日に一時間ほど時間を遅らせたのに、とても長く寝てしまい。朝のヨガ体操がぎりぎりとなりました。10時の東ちづるさんの講演を聞いて、みんなでサルサに参加しました。バルセロナやノールウエイのベルゲンの自由行動の同行者を募って、何とか7人から8人の集団となりました。
ベルゲンはキャンセル待ちをキャンセルして市橋佳奈子さんと同行することを考えました。ニューヨークの事前行動になりそうです。サルサでは恵庭の鈴木さんとジルバの特訓を行いました。

69日(土)
 イタリアのカリアリに到着しました。長くつの先っちょに位置するサルベージュ島の都市です。この地方の州旗は4人の英雄の目隠しをした首だったのですが、近年、目隠しを外した頭を掲げるようになったとのことです。風景が美しく観光が盛んになりましたが、とても古い街並みと現代的な街並みが共存しているところでした。国立考古学博物館を見学後に象の塔やカテドラルの外観を見学して、一度帰船して夕食をしてから帰船リミットの10時までを目標に再度、街の中心街のPIAZZ YENNEまで歩いていきました。途中でバンビちゃん(オリーブちゃん)がからすみの粉末がおいしいというので、中心街のスーパーマーケットに買い出しに行きました。さらに途中で照英さんにあったので記念写真を撮っているうちに、ビーバーちゃんに聞いた「ボッタルガ」という名前を忘れてしまい、途中で日本人女性にお聞きしましたが、わからずにお店に入って大島さんと通訳の小泉さんにお会いして、何とか商品を見つけました。現地の方も含めてお店にあったボッタルガはほとんどなくなりました。港の近くにあった免税店の価格の半額で買えたのでみんな大喜びでした



610日(日)
前日が寄港地でしたのでヨガやサルサ健康体操やみんなでサルサは中止となっていました。午前中に東ちづるさんの私はワタシという講演を聞きました。「LGBT」(セクシャルマイノリティ)に関する映画とそのコメントでしたが、映画の製作協力者に5000円から可能で、その他資金援助をお願いします。という話を聞いているうちに意気消沈してしまい異次元の世界の話の様に思えてきました。栗城さんも同様な感じで、鈴木常さんも関心を無くしたようです。社交ダンス広場に恵庭の鈴木さんと練習に出かけました。バンビちゃんがブルースやワルツを教えてくれましたが、ジルバ以外は難しかったようです。特にワルツは基本が出来ていなくボックス以外のステップが出来ません。恵庭の鈴木さんはバンビちゃんとルンバやチャチャチャを踊りたそうで、ジルバの時だけ踊っていただけました。

611日(月)
 スペインのバルセロナに朝の600に入港しました。栗城さんが一度来たことがあるというのでオプショナルツアーを取らずに、独自に歩くことにしました。話を聞きつけてシンガポールで一緒した名古屋の鈴木さん[かっちゃん]と下原さん、常さんの同室の斉藤さん、ピレウスで一緒したかがみんさんとその友達の愛奈さんそして90回で一緒した三浦さんが同行することになって、朝の7時には下船許可が出るので急いで、行くことにしました。簡易的に栗城さんと下原さん、常さんとかっちゃん、斉藤さんと各務、磯部愛奈さん、そして三浦さんと潮見の編成にして、行動するようにしました。
 朝が早すぎてシャトルバスが出ていないため、タクシーに分乗して5人と4人に分かれました。不思議なことに5人の乗りは16ユーロを超え、4人乗りは6.4ユーロで納まりました。サクラダファミリアに行くので地下鉄に乗ろうとしましたが、近くにある入り口を通り過ぎて、しかも反対方向に乗ったり、急に下車したりして2人が次の駅から戻ってきたりして、結局サクラダファミリアにつくのに一時間以上かかってしまいました。サクラダファミリアの入場券を購入しましたが、夕方の630~といわれ一時は断念しましたが、ピースボート単独で来た女性が615分から見るというので私たちも午後630の入場券を買いました。まだ午前1000でしたのでそれから公園や市場に行って昼食を食べました。9人でピッサやスパゲッティ、パイレオをシェアしていただきました。市場でイベリコハムの買い食いをしたりして、530分にサクラダファミリアに戻り近くのマグドナルドで簡易の夕食をいただきました。若い女性の愛奈ちゃんは疲れ切って寝てしまいました。620頃からサクラダファミリアの内部に入りましたが、やはり素晴らしいものでした。
帰船リミットが2100とのことでしたが、2000で食事が無くなってしまうとのことで、大急ぎで食堂に駆け込みました。しかし私と常さんと三浦さんの3人だけが間に合いました。お市さんが一緒になり彼女が菜食主義者であることを知りました。ニューヨークとベルゲンをお願いしているので、彼女の食事も考えてあげることが必要かと思いました。部屋に戻ると各務さんと愛奈さんがご挨拶に来て、翌日 打ち上げをお願いされました。

612日(火)
 寄港地の翌日だったので、ヨガが10時からのスタートとなりました。恵庭の鈴木さんに琵琶を預けて翌日に頂くことにしました。また社交ダンスの広場があったので、鈴木さんをお誘いしましたが、疲れ切っていて今日は無理とのことでしたので一人で参加しました。バルセロナを一緒した三浦さんが参加していたので、ジルバやワルツを踊りましたが、やはりジルバだけがまともで他はできませんでした。三浦さんは年長でしたがワルツやブルースは完全にマスターしているようでした。北海道人会の男性が上手に踊っているので少し真面目に練習しようかと思いました。
 夕方、各務さん愛奈さんとピレウスで一緒した猿渡さんも参加して総勢10名の打ち上げ会になりました。年配者は22歳の女性たちの乗船動機をお聞きし、若い人は年配者に今まで一番良かった国はどこですかでした。

613日(水)
久しぶりに朝600からのヨガとなりました。恵庭の鈴木さんが疲れて社交ダンスも出席しないというので、一人で社交ダンスに出席しました。初めての社交ダンスに出てみました。10人ごとに男女が組み合わされて練習するので、初めての私にはむづかしかったです。昼過ぎに恵庭の鈴木さんと琵琶を食べてお茶会を行いました。その後することが無くなったので、マージャンをしながら夕食会上に行くとまた、恵庭の鈴木さんと一緒になりよく日のリスボンの情報交換を行いました。

614日(木)
 リスボンに700に入港しました。ツアーに入っていたので815に集まりバスに乗ってアルファマ地区、ジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメントを見学しました。見学の後市内のレストランで昼食をいただきましたが、ワインのあか、白、ビール、コーラ、スプライト、オレンジジュースが飲み放題で、栗城さんも常さんも大量にワインを飲んでいました。帰船リミットが1600でしたが、ツアーが遅れてしまい1540にやっと終了したため港の近くのマーケットによる時間が少なく、何とか琵琶を8個買うことが出来る程度でした。早速に恵庭の鈴木さんに預けて後日お茶会を開くこととしました。帰りがけにお市さんがフランスを同行したいというので、ウエルカムにしました。また三浦由美さんが夕食に来なくなったので心配しました。
よく日は朝の600~ヨガレッスンをするとお市さんが張り切っていました。