2018-08-01

ピースボート98回クルーズ2018年7月19日~26日


2018年7月19日~26日

7月19日(木)
 今日は、ケイマン諸島のジョージタウンという小さな島に行きました。昔は海賊の本拠地としていましたが、スペインやイギリスが植民地化しては支配してきたところでした。現在もイギリスの影響が強く、リゾート地としてセブン・マイル・ビーチなど発達してきています。常さんは海で泳ぎたいというので、同室の方と海に向かいましたが、私と栗さんは90回クルーズでも同行した大島さんと倉持さんと一緒に植物園とクリスタルケープという洞窟とウミガメの養殖場を観光しました。




タクシーをチャーターして3か所を回ったのですが、どうもクリスタルケープは私たちが考えていたところとは違っていたようでした。3か所目を終わったところで、昼食の会場を運転手に聞くと、中華料理屋に連れていかれました。きっと中国人に間違えられたようです。遅めの昼食をロブスター・レストランで食べましたが、ランチを注文しましたが、結構おいしく食べられました。近くのスーパーマーケットでラムカーキやサクランボを購入しました。ダンスパートナーのすずさんに偶然会うと、何か高級ホテルの部屋の貸切を使って水泳や食事を楽しんだようです。そのような楽しみ方もあったとのことで参考になりました。

7月20日(金)
 寄港地明けということで、ヨガ教室は朝の8時から始まりました。朝食を食べた後のヨガ教室でしたので少し体が重く感じられました。続いて社交ダンスが始まりましたので、タンゴの練習を中心に2時間ほど行いました。わくわく寄港地カタルヘナとみんなdeサルサが重なりましたが、栗さんが代表して寄港地情報を聞きに行き常さんとサルサに参加しました。ところが常さんは体調が悪くなり途中で帰り、昼食も夕食も取らないという状況になりました。乗客全員を対象にした避難訓練もありましたが、それにも参加できなくなったようで部屋で寝込んでいました。心配して、病院に行こうと話しましたが、断食をすれば治るというので回復を待つことにしました。
夕食は同室の加茂さんと栗さんの3人で食べることになりました。道内乗船者集まれという案内があったので、加茂さんに勧めて一緒に集合場所に行ってみました。結構、顔見知りの人もいましたが、次の南十字星を見ようという自主企画が同じ集合場所でしたので、そちらに参加しました。

7月21日(土)
 今朝は、朝6時からのヨガ教室があったのですが、波が高く揺れが激しいので中止となりました。6時からモーニングコーヒーを楽しんで、6時半から朝食をとっていると、常さんが現れ食欲がわいてきたので食べることにしたとのことでした。食べられるようになれば一安心ですが、無理をしないようにしてもらいたいものです。9時からの社交ダンス、10時からの水先案内人の「トリセツ・カラダと死因不明社会」の講演をお聞きしました。水先案内人の海堂尊氏はペンネームでテレビドラマでチームバチスタの原作者として知られているようです。その後みんなDEサルサに参加しましたが、サルサのコーチの田村美和子さんが船酔いとなり、あえなく中止となりました。午後はパナマ開運歴史、の講演の後、すずさんのお部屋でお茶会でしたが、常さんの調子が悪く代わりに同室の加茂さんをお誘いして、先日植物園でいただいたマンゴとチェリーをいただきました。特にマンゴは完熟していてとても甘くおいしくいただきました。伊藤千尋さんの講演では、パナマの歴史や反米大陸の話がありました。説得力のある話でとても参考になりました。水先案内人の企画が多くなり、スケジュールを調整しながら忙しく参加しました。


7月22日(日)
 コロンビアのカタルヘナ港に6:00に入港。朝8:00集合のオプショナルツアーに参加しました。バスにて旧市街の方向に行きカタルヘナオペラシアターにて民族舞踊を楽しみました。ラテン系の激しい音楽に乗せて、若者が踊る姿は躍動感があり素晴らしいものでした。そのご、旧市街のサンペドロクラペール教会やボリーバル広場、サンタテレサ広場などを観光しました。スペインの支配が長く、公用語はスペイン語となっていました。スペイン統治時代から要塞都市となっていて、いたるところが要塞の高い塀で囲われていました。教会や広場に面した施設は、昔の修道院や宗教裁判所などが多く、独立後に商業施設やホテルに作り替えられたものが多く残っていました。昼食後にサン・フェリペ要塞を観光しましたが、規模も堅城さも抜群で一度も落城したことのない要塞とのことでした。


 ツアーから帰ると、同じポートで帆船の大会のようなものが開かれていました。アメリカ大陸を中心に10数か国の帆船が集まって、船内を公開していました。ツアー帰りのクルーも多く観戦していました。今日、カタルヘナの出港式に盆踊りを行うということで、栗さんが浴衣を着て参加しました。明日はパナマ運河を通り、パナマ市街の観光があるので楽しみにしています。
 
7月23日(月)
 パナマのクリストパル(カリブ海側)に23日13:00に到着しました。私たちは14時15分の集合でバスを使って太平洋側のパナマシティの見学をしました。以前は治安が悪くあまり観光が出来なかったようですが、新しい街、カスコ・アンティグオを歩いて観光しました。サントドミンゴ修道院からサンホセ教会やフランス広場を見学、ボリバル広場の近くのレストランで食事をしました。夕食は19時台に終了しましたが、また、カリブ海側に停泊しているピースボートに戻りましたが、思ったほどの渋滞もなく21時前には帰線することが出来ました。帰船リミットは22時でしたので近くのスーパーや土産物屋に寄りました。
 話題のゲイシャコーヒーを探しましたが、スーパーにはなくて恵庭のすずさんがお友達に頼んだのが一つだけ確保されたようでした。



7月24日(火)
 朝、4時にクリストパルを出港しパナマ運河カリブ海側から太平洋側のパナマシティに向けて最初はアグア・クララ閘門・ガトウン閘門をへてガトウン湖に来ました。ガトウン湖にしばらく滞在して次に下りの水門に向かいました。まずペドロ・ミゲル閘門で水位を下げて、次のミラフローレス閘門で太平洋側の水位と合わせパナマシティに行きます。
 朝の6時台から閘門の近くに来るたびに、船内放送で案内があり閘門の開くタイミングを教えてもらいました。朝の4時ころからのイベントですが、約12時間かけてのパナマ運河の運航は迫力がありました。午前中の合間を見計らって、恵庭のすずさんの部屋でフルーツパーティを行いました。その後、社交ダンス練習をしましたがなかなか時間が取れなく、昼食を一緒してから解散となりました。午後はそれぞれに、放送の案内に従って閘門の見学に行きました。

7月25日(水)
 久しぶりに朝の6時からのヨガ教室でした。担当スタッフのチャアリーさんからお市さんが船友いらっしゃいに出るので、来てくださいとの案内がありました。社交ダンスとみんなDEサルサを終えて、昼食をとって船友さんに行くと大勢のお客が来ていました。常さんと最前列で応援しましたが、栗さんは次の水先人案内の席取りのため船友は欠席となりました。お市さんの経歴やヨガ担当トレーナーになった経過などが話され、そのあとで司会者の田村美和子さんから次回28日の船友は3人の方ですと私たちの紹介がありました。
 午後からは、軍隊を無くした平和国家コスタリカ(伊藤千尋さん)のお話しとわくわく寄港地プンタナレス(コスタリカ)の情報提供がありました。もう一つ「持続可能な開発のためのパートナーシップ」という水先案内人企画がありましたが疲れてしまって、パスすることとなりました。
 明日は、プンタナレス(コスタリカ)寄港ということで、朝が早くて大変の様でしたので早く眠ることとなりました。
  
7月26日(木)
 朝6時にプンタナレス入港の予定でしたが、若干遅れてしまい集合時間も少しずつ遅くなってしまいました。食事が5:45分からとることが出来たので朝早くから食事をとり用意していたので多少ゆとりが出ました。当初6人くらいで同じバスにしようとしましたが、先頭に行った方と後が繋がらなく違うバスとなってしまいました。1時間半程度でプンタナレスからサンホセに行きましたが、途中の通訳の意味が分からなく大変困ってしまいました。
 サンホセに着くとサバナ公園近くの土産物屋に行きました。プラ・ヴィータと書いてあるTシャツとピンを買いましたが、栗さんと常さんは他にコーヒーを購入していました。国立劇場と国立博物館を見学、コスタリカ美術館を見学しましたが土産物屋で買い物をしていると、スコールがあり大雨となってしまいました。さらに、乗っていたバスが故障してしまい、新しいバスに荷物を運んで乗り換えることとなりました。さらに、通訳も日本人になり何とかオプショナルツアーとなりました。植物園で昼食をとって、園内を観光しましたが、ランの花が見事でした。



食事をとっていると、周りにマンゴの実がたくさん落ちていました。栗さんは素早く包んで恵庭のすずさんに持っていこうと言い出し、結局、数個持参することになりました。
船に戻って、常さんと私の隣の夫人はスーパーに買い出しに行くとのことでしたので、常さんと加茂さんと恵庭のすずさんを誘って夕食をとりました。マンゴーを渡したので数日後にはフルーツ会をすることになりそうです。
 

ピースボート98回クルーズ2018年7月10日~7月18日


2018年7月10日~7月18
7月10日(火)
 独自の行動に慣れてきたので、これまでオプションを取っていましたがキャンセルをして8人の行動となりました。10:00に入港したので安心して10時45分の出発となりました。船から海岸線の埠頭をゆっくり歩いて、休み休みもハリファックス・シダデルまで歩きましたが、80歳を超える二人には歩くのがきつくなり、シダデルの前で休むことになりました。入場して歩き回るとピースボートの方々に会うことが出来ました。自由行動をとった方もツアーに入った方もかなりの方が音連れたようです。オールド・タウン・ロックの前で再集合して、ザ・ファイブマンズ・フィッシャーマンズ・グリルというレストランで食事をしました。生ガキとタラ・チキンやオーム貝など適度にとってシェアしました。その後パブリックガーデンに行く組と大西洋海洋博物館に行く組とに分かれ、私はパブリックガーデンに行きました。大西洋博物館に行ったときにはすでに先行組はいなくなっていましたが、船の歴史館のようなものでした。船に戻る途中でスーパーマーケットを探しましたがなかなか見つからず、船の前のターミナルショッピングセンターで行くとかの土産物を購入しました。ニューヨークの入国審査の手順が寄港地情報で報告されましたが、フロアというかデッキごとの審査と入国になるため、8人全員がまた待って出発できるかどうかは心配になってきました。市橋佳那子さんと連絡を取り合って何とかスムーズに進めたいと思っていますが、かなりの困難が予想される事態となりました。
寄港地WIFIが使えているうちに何とかしたかったのですが、スムーズな連絡とはならなかったようです。





  
7月11日(水)
 寄港地 明けということで朝のヨガの自主練習はなかったのですが、9:00からは社交ダンス・11:30からは「みんなdeサルサ」があったので、ダンスパートナーのすずさんと2時間近く練習をすることが出来ました。午後からはニューヨーク入港に向けてパスポートを受け取り、米国入国審査対応に準備しました。その後、「米朝会談を巡る日本とアジア」という講演を聞きました。米国も北朝鮮も今回で立場が明確になってきたのに、日本はどのようにしていきたいのかが、不明となっている」との川崎哲さんの主張に共感しました。夕食後は明日のニューヨークでの自主的観光グループの調整を行いました。
 
7月12日(木)
 ニューヨーク入港は10:00頃でした。入国審査が厳しくなって各階ごとに審査を受けるとのことで、14:00からのミュージカルに間に合わなくなりとのことでしたが関係者の方々のご協力により、何とか12時には会場に着くことが出来ました。日本に帰っていた市橋さんと港前で合流して、会場に迎えましたが大きなリックにテントを入れていました。会場に向かう間に数人の知人が、同じ方向問ことで同行しました。まずミユージカル会場でバウチャーチケットから座席シートチケットに交換してから、会場の近くのピザ屋さんで大きなピザをシャアしましたが、同行していた中国人の方も加わり総勢9名での昼食となりました。大きなピッザとサラダを分け合って楽しくいただき、ゆっくりと会場に入ってミュージカルを鑑賞できました。「オペラ座の怪人」というミュージカルでしたが、すべて英語なので言語は、理解できないところもありましたが、演出や音楽・舞台装置など感動しました。夕食をワールドトレードセンター近くに予約していたので、記念館やサウス・ストリート・シーポートなどを観光した後に、トレーディングポストNYCというレストランで会食をしました。念願のボーンステーキやしし唐の空揚げやシーフードなどを注文、8人でシェアしておいしくいただきました。食後はブルックリン・ブリッジを渡りニューヨークの夜景を堪能しました。ブルックリンブリッジからタイムズスクエアまで地下鉄を利用して、再度、ブロードウエイの繁華街を歩きましたが、昼間より人ごみが多く途中で一人はぐれる事件が起こり何とか船に戻った時は、深夜の12時近くとなっていました。
 市橋佳那子さんはずーっと重い荷物を背中にしょったままでした、一時、常さんが交代しましたが、大変な重さだったようです。






 
7月13日(金)
 朝、8時半に独自に歩くというので7人のグループとなりました。昨夜、はぐれてしまった方からも連絡があり、先に帰船していたとのことで安心しました。7名でグループ行動の確認をしてセントラルパーク・メトロポリタン美術館を目指しました。途中でジョンレノンの記念メモリアル「イマジンプレート」を見て美術館に行きました。音声ガイドを借りましたが、音声ガイドのままでは時間が足りなく、ガイドを断念しで関内案内図に従って急いでみることになりました。館内で同室の加茂さんに会いましたが、グループとなった9人は待ち合わせ場時間になるまで会うことが出来ませんでした。昼食は、常さんが調べていたイタリアレストランでピザとパスタをシェアしていただきました。昼食後はそれぞれに解散し、私と常さんと栗さんで国連本部やエンパイアステートビルに行き帰線途中で、一度解散したメンバー度偶然に合流してお酒を買って、19時半頃に帰船しました。夕食は香港出身の方と同席となり、片言の英語と片言の日本語で歓談しました。とても歩き回りました、2日間で5万歩以上の歩行となったようです。思い出深いニューヨークとなりました。







7月14日(土)
 寄港地明けでしたが、朝の9時からヨガ教室、11時半からみんdeサルサがありました。サルサにはツアーで同行する、カッチャンが参加することとなりました。午後からは社交ダンスが社交ダンスが始まったので久しぶりに、練習を再開しました。1時間ほど練習をして4回目の「航路と航海の雑学」を聞きました。パナマ運河に関する話題で、今回の船旅の目玉の一つの「スエズ運河」と「パナマ運河」を航行する話を地球規模での説明となりました。夕食はダンスパートナーのすずさんとバンビさんと私たち3人で5人での会食となりました。波へいという居酒屋で、「しゃぶしゃぶ」コースを食べました。5人で食べたのですがお肉と野菜の量が多く、2時間以上かけてゆっくりと会食を楽しみました。

7月15日(日)
 朝早くからのヨガ教室となりました。健康サルサがあったので栗さんは健康サルサに行き、常さんと朝食をとり社交ダンスやサルサダンスに参加しました。10:00~元朝日新聞社の伊藤千尋さんの講演「9.11からトランプまで」の話を聞きました。アメリカの民主主義についての話でした、さまざまな側面を持つアメリカの面を考えさせられました。午後からすずさんのところでお茶会の予定でしたが、急遽、音楽祭で出演者から写真を撮ってほしいとの依頼がありお茶会をキャンセルして音楽祭に参加しました。楽器を使っての演奏が多く、依頼した下原チエさんは「バラが咲いた」を歌いましたが、なかなか聞かせるものでした。多くの方は舞台での発表を楽しんで、頑張っていました。音楽祭を終えて「わくわく寄港地・ハバナ」を聞きましたが、ハバナでの観光は規制が多く、他国の通貨は使えないとかクレジットカードは使えないとかで、なかなか自由な観光は期待できそうもありませんでした。就寝まじかに大島さんが部屋に来て、クレジットカードに関する質問をお聞きしました。なんでもご主人からファックスが届いて、クレジットカードが使用停止になるようなので、クレジットカード会社に問い合わせるようにとのことでした。寄港地で数回使ったようですが、限度額を超える金額は購入の覚えがないとのことなので、まずはファックスで利用状況を連絡して、WIFIが使えるようになればライン電話を使って御自宅に連絡をしたらどうかと助言させていただきました。さまざまなことが起きるので、毎日が退屈をしないで過ごせています。
 
7月16日(月)
今朝は、ヨガ・ストレッチから始まりました。みんなdeサルサがパスポートの受け渡しや他の水先人案内の企画と重なって無くなってしまいました。午後からも「コスタリカってどんな国」という講演があって、楽しみにしていた社交ダンスの時間はとても少なくなってしまいました。
常さんは、午前中からプールが使える状態となったので、水先人企画は参加せずに泳いだりストレッチルームで運動をしていました。水先人案内人企画では、コロンビアとコスタリカについて紹介されました。あまりなじみのない国でしたが、国民の幸福度指数が第1位ということで、なぜそうなったのかについて関心が寄せられていました。特にコスタリカについては三権分立ではなく選挙管理権を加えて4件が分立しているとのことでした。
また、水先案内人の伊藤千尋さんからは「ゲバラの夢・キューバは今」というテーマでお話をいただきました。キューバは社会主義国ですが、他の社会主義国とはかなり違った自由でおおらかなラテン系の社会主義といって高く評価していました。特に、個人崇拝の禁止を憲法に歌うほどに平等性を強調している国といえる、そしてアメリカに亡命といっては出稼ぎに行くしたたかさを持った国として紹介されました。これまでなじみのない国でしたので大変参考になりました。
いよいよ明日はキューバに上陸となります。なんだか興奮してきました。

7月17日(火)
 キューバのハバナに朝の6時に到着しました。朝から蒸し暑くなっていました。オプショナルツアーに入っていたので、朝の7:45分に集まってバスに乗り込みました。このコースの人員は190名と多く5台のバスで回ることとなりました。まずはゲバラの肖像画のある革命広場と革命博物館に行きました。博物館ではゲバラとカストロがメキシコから、武装蜂起しようと定員が20名程度のクルーザーに80名ほど乗ってきたのですが、生き残ったのは17名だったという船を見ることが出来ました。また、革命博物館にはアメリカCIAによる反革命策動に使われた飛行機や戦車やジープが展示されていました。その中にトヨタのランドクルーザーが並べられていました。嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになりましたが、キューバ人のしたたかさにも感動しました。アメリカから攻撃されても、その武器や車を奪ってそれを丁寧に直して自分たちの武器にするたくましさを感じました。街の中には1959年代のアメリカの車(キャデラックなどのオールドカー)がピカピカに磨かれて走り回っていました。街はスペインの植民地時代やアメリカの統治下時代に建てられた建物も多く、ハバナの市街でも廃屋となっているところもありました。アメリカによる経済封鎖が続く中で、逆に、有機農業を推進したり、逆境をバネにして革命を推し進めるキューバ型の社会主義を見ることが出来ました。一部の金持ちの国ではなく貧しい国民の共存による社会は学ぶべきところが多いと思いました。しかし、米ドルもユーロも使えなく旅行者観光者用のキューバペソでしか買い物が出来ず、寄港地WIFIも使用できないという不自由さはありましたが、もっとゆっくりと落ち着いて、旅をしてみたい都市でした。











7月18日(水)
寄港地明けでしたので、朝のヨガや健康サルサ・みんなdeサルサはお休みとなっていました。水先案内人の企画が昼食や社交ダンスとかぶるようになって、2者択一を迫られる状況でした。明日のケイマン諸島のジョージタウンのわくわく情報を聞いた後、社交ダンスに行って練習をしましたが特訓状況となってしまいました。その後、久しぶりにすずさんの部屋でお茶会となりました。いただいたマンゴもちょうど食べごろとなっていました。すずさんが釧路で下船との話を聞いて、常さんも栗さんも荷物運びだし作戦を考えたようです。水先人案内人の伊藤千尋さんの「カリブの海賊」というお話を聞きました。海賊はいくつかのおきてを持っていましたが、結構民主主義的な側面を持っているということを感じました。明日のジョージタウンがカリブの海賊のすみかであったこともあって、興味深くお話をお聞きしました。


ピースボート98回クルーズ2018年7月1日~7月9日


2018年7月1日~7月9日
7月1日(日)
 ノルウエイのベルゲンに寄港したので、翌日は何もないと思っていましたが。朝早く日の出とともにフイヨルド遊覧というイベントが始まり、ピースボートの船自体がノルウエイ最大のフイヨルド・ソグネフイヨルドと世界遺産に登録されているネーロイフイヨルドを遊覧しました。このため朝から夕方まで、ヨガもサルサも社交ダンスも企画がなく、ただ食事の時間にフイヨルド鑑賞を休んでカメラを持って走り回るという一日でした。

 
7月2日(月)
 久しぶりに、朝6時のヨガとなりましたが、市橋佳那子さんが帰郷したために録音テープでのレッスンとなりました。社交ダンスは朝9時から開始、10時からレイキャビクの紹介、11時からサルサ練習と午前中は、分刻みの過密スケジュールとなりました。昼食が醤油ラーメンということもあって、社交ダンスパートナーのすずさんも加わりサルサグループでの昼食となりました。加えて、社交ダンスの先生が生バンドの場所で再度練習をということで、夜の2200過ぎまで踊り明かすこととなりました。しかし外は明るく、日の入りが2300ということですっかり夜更かしとなりましたが、楽しいひと時を過ごしました。

7月3日(火)
 朝から大荒れの天候で、船は大揺れでしたが、朝6時のヨガ体操は録音テープでの自習練習は行われました。他の健康サルサや社交ダンスも予定通り行われました。9時からの社交ダンスはダンスパートナーとサルサダンスまでの3時間20分を続けて踊ることとなりました。12時半に昼食をとったのですが夕刻まであまり良い企画がなかったので、また昼寝をして3時半からの「南極・北極を取材した12年」という朝日新聞社の中山由美さんのドキュメンタリー映画を見ました。活動的な彼女の生き方に触発されるものがありました。夕食は社交ダンスパートナーのすずさんが同行したいとのことで、いつものメンバーに加わりました。翌日はレイキャビクも同じオプショナルツアーを取っていたので、一緒のバスにすることで計画しました。

7月4日(水)
 レイキャビックの観光は朝645分から出発とこれまでになく早い出発となりました。バスに揺られて1時間ほどで、シングヴェトリル国立公園に行き、ユーラシア大陸とアメリカ大陸プレートの裂け目を体感しました。次にゲイシール(間欠泉)を見学、ストレックルという名前の付いた間欠泉もあり見ていた15分間の間に大小3回の吹上がありました。やはり壮大だったのはグトルフォスの滝でした。黄金の滝とも呼ばれていますが、氷河から溶け出した豊富な水量には迫力がありました。食事をバスで一緒となった7人で取りましたが、集合時間やバイキング方式での問題で不公平な状況が出てきました。旅行も55日目となり半分以上を経過すると我儘な人も出てきて、感情をあらわにされる方も多くなってきました。旅の楽しみ方はそれぞれにあるのですが、お互いに譲り合ってのお付き合いが必要なようです。





7月5日(木)
 寄港地明けでしたが、朝の555分に北極圏(北緯6633分以北のこと)をオーシャンドリーム号としては初めて、6655分まで走行したようでした。


栗さんは朝の4時から甲板に出て流氷やクジラが見えないかを期待して、出かけましたが生憎とガスというか霧がかかって視界が悪くなっていました。7階の甲板デッキが公開されたので、船の先端に行きましたが、ほとんど見えない状態でした。朝6時ころになって少し日差しが出てきたので、ピースボートスタッフの用意したボードを使って記念写真を撮りました。午前中はサルサダンスがあったので、10時から社交ダンスの自主練習を開始し、11時半からのサルサダンスに参加しました。朝食後はまた睡魔に襲われ1時間ほど眠り、3時からの寄港地情報(カナダ・ハリーファックス)と(USA・ニューヨーク)を聞きました。牛久の中田実可子さんがすごく頑張っていました。ハリーファックスと・ニューヨークは自由行動としたので、丹念に情報を集めました。今日は時差調整日となって、1時間ほど遅らせています。これで日本との時差は遅れること10時間になる予定です。

7月6日(金)
 今朝は朝4時に起きましたが、すでに栗さんが出かける準備をしていましたが、生憎と雨が降っていて白夜の日の出は見ることはできなかったようです。すでに同室の年長者は3時ころに甲板に出ていたようで、雨が降っているとの情報を栗さんに伝えたようでした。話によると鈴木常さんは朝の3時まで起きて、白夜を楽しんだようですが5時ころに表れて、2時間ほどしか寝ていないと豪語していました。結局、朝霧のような窓の外の風景を楽しんだようです。朝6時からのヨガの自主練習では結構人が集まっており、睡眠不足の常さんも参加しました。そこでバンビさんやすずさんから、昨夜、6時ころからダンスの広場がありワルツやジルバの練習があったので練習をすればよかったとの話を聞きました。
 ヨガが終わった後栗さんはサルサ健康体操へ鈴木常さんは食事後、仮眠をとるといって部屋に戻りました。私は9時からの社交ダンスに参加し、バンビさんとすずさんと数人でワルツの自主練習を行いました。続けてみんなでサルサにも参加しましたので、午前中はダンスでいっぱいとなりました。社交ダンスもサルサも78日のダンスパーティーに参加する人を募集していましたが、私と常さんがサルサダンスにエントリーしましたが、栗さんもすずさんも観戦する側になりました。
 夕刻、美容室の予約をしていたので3人で整髪をしてきました。水先案内人の中川由美さんの講演がありましたが、美容室とダンスパーティーに向けたリハーサルのため参加できませんでしたが、多くの人が参加したようでした。
今日も1時間ほど時間を遅らせることになり,日本との時差は11時間となります。明日と明後日にも30分づつ遅らせるので、明後日には12時間の時差となるようです。ちょうど半日違いの生活が始まります。

7月7日(土)
 今朝は4時に起きました。数日前からPCの調子が悪く修復に頑張りましたが、やはり佳那子さんからのメールは読めない状況でした。朝のヨガの自主練習をして社交ダンスの練習に行きましたが、揺れがひどく社交ダンス大会のビデオを見る会となったので、社交ダンス練習は中止となりました。時間が余ったので、社交ダンスパートナーのすずさんとこの後の寄港地情報の交換をしましたが、一緒のオプションはほとんどなかったようです。
カナダへの税関申告書記入を済ませて、水先案内人企画の「ICANと核兵器禁止条約」についての講演を聞きました。77日は核兵器禁止条約が制定された歴史的な日の1周年。この一年で何が行われ、これからどうなるのかの話でした。英語での講演のためか参加者はあまり多くはなかったでした。昼食後カナダ人のマイケル・マグワイアーさんからカナダ全般のお話を聞きましたが、ヨーロッパからの移民による国造りとか先住民族との問題とかカナダが抱える問題を話していただきましたが、今回も英語での公演だったため参加者は少なかったです。
3時から明日のダンスフェステに向けての練習がありましたが、ダンスパートナーのすずさんは船が揺れるので、不参加となりました。常さんと私はサルサ演武に登録していたので、練習を進めました。
 今日は七夕ということで、パーテー&デナーということで、私と常さんは背広を着ましたが栗さんは浴衣を着て、ディナー参加となりました。8階のダンス会場の前の七夕で記念写真を写し、4階のディナー会場に行くとやはり浴衣を着た女性が多くあらわれ、栗さんは手当たり次第に記念写真を撮っていました。こんなイベントも結構楽しめるようです。


7月8日(日)
 朝3時台に目覚めましたが、船は大きく揺れていました。アイスランドからカナダのハリファックスに向かっていますが、北極圏に突入してから南西に向かいグリンランドのケープフェアウエル岬を通り7日正午にはラブラドル海沖を通過、8日正午にはベルアイル島沖を通過しベルアイル海峡からセントローレンス湾を通るのですがとても寒く大きな波が立っていました。5階フロアのレセプションに行くと比較的若い女性が、2段ベットのはしごが外れて床に投げ出されたといって、深夜担当のスタッフに抗議をしていました。軽い打ち身で済んだようですが、他にもはしごから落ちた人もいて、揺れる日は特に注意が必要です。朝5時半になったのでヨガの自主練習の会場に行きましたが、スタッフのチャアリーさんがいち早く自主トレ中止の案内を出していました。栗さんの健康サルサ体操も中止、その朝のラジオ体操も中止となっていたので、それぞれが食事に行くこととなりました。
 9時になって社交ダンスのスクールに行くと、夜のダンスパーティに向けての準備に大わらわとなっていました。特にジルバの出場者は最後の練習なのでペアで参加していました。私のダンスパートナーのすずさんは、9時に来ましたが揺れがひどくて立っているのも大変ということで、社交ダンス練習はあきらめることとしました。しかし、ジルバを踊るペアの男性が来ていないとのことで、相手役を頼まれたので、できる範囲で協力することとしました。
 10時半頃常さんが会場に来て、氷山が見えるといってカメラを片手に現れましたが、会場の外のデッキは冷たい風が吹き、ドアを開けるのも一苦労するほどでした。遠くに見える氷山でしたが常さんはカメラに収めたようでした。
 昼食をとっていると右舷側に大きな氷山が現れ、栗さんと大急ぎでカメラを持って写しました。しばらくカメラを片手にデッキにいましたが、指先も体も冷えてきたので氷山撮影は断念し、12日のニューヨーク関連の資料を作ることにしました。ニューヨークの地図にミュージカル会場のマジスチックシアターや食事の会場をプロットして各人へ渡しました。
 夕方17;00にダンスパーティのリハーサルに参加して、食事を済ませた後20:00からのダンスフェステバルに参加しました。サルサダンスは5番目の出場でしたので栗さんに写真撮影を頼んで、踊り終わった後は疲れ切って早めに就寝しました。


7月9日(月)
昨日に比べて幾分暖かく、揺れも収まったようでした。ヨガの自主練習も参加者が少なくなってきましたが、チャアリーさんが頑張って「太陽礼拝」まで行いました。田村美和子さんのみんなでサルサが無くなったので、久々に健康サルサの体操に3人で参加しました。
私とダンスパートナーのすずさんと久々にジルバとワルツ、ルンバの練習になりました。今回からタンゴが加わって、いよいよ難しくなってきました。今回の船で、サルサから始まり、ジルバ・ブルースそしてワルツとルンバそしてタンゴになるのですが、6種類の踊りが踊れるようになりそうです。ダンスパートナーのすずさんのおかげです。午後からピースボートの映像チィームが作った「地球半周の軌跡」というビデをを見ました。出始めから常さんや栗城さんと私の映像が現れ、見送りに来た常さん一家の映像もありました。途中でも要所要所で3人の姿が見られ常さんはこれが売り出されたら必ず買うと息巻いていました。
14時にニューヨーク訪問グループの結団式を行いました。佳那子さんが帰国してすでにニューヨーク入りしているとのことですが、WIFI環境が悪くうまく連絡が取れていなく、米国への入国対面審査などが時間がかかりそうなので何かと心配ですが、早めの対応で頑張りたいと思っています。
水先案内人の朝日新聞社の中山由美さんの講演を聞きました。南極と北極に長期取材の体験談を交えての話でしたが、多くの参加者がありました。深刻なのは地球の温暖化、それも人間の欲望によって自然破壊を繰り返すことで、地球全体が壊れていってしまっているとの主張には賛同しました。

ピースボート98回クルーズ2018年6月26日~6月30日


2018年6月26日~6月30日

6月26日(火)
 スエーデンのストックホルムに朝の7時に入港しました。8時にはオプショナルツアーで市庁舎やフイエルガタンや王宮の見学をし、1515分にオプショナルツアーを離団して、船に帰線することにしました。市庁舎ではノーベル賞の授与式や舞踏会の会場を見学し、ノーベル記念館でノーベルの金チョコレート10個入り130ユーロで購入しました。税金が戻ってくるというのでその申請用紙をもらってきました。全部で430ユーロなので100ユーロくらい戻るとよいと思います。
離団してからいくつかの店を回りましたが、物価が高くお土産の木馬が有名ですが、17000円近くするのでビックリでした。スーパーに寄りたいという栗城さんの申し出を無視して、帰る途中にあった、PUBでコーラとビールを注文しました。常さんと栗城さんはWIFIが繋がる店でしたので喜んでいました。久々にWIFIが繋がったといって大阪の安否確認をした同行者もいました。それなりに満足のスェーディンでした。





6月27日(水)
 寄港地明けということで、9時からバンビさんとすずさんと社交ダンスの練習をしました。11時にはイベントが入っていたので、そこまでの時間しか取れませんでしたがある程度の練習が出来ました。620日に声が出なくなって診療所のお世話になってから1週間がたち、薬もなくなってしまいましたので、改めて診療所に行くと待ち時間が3時間以上となりました。久しぶりの開診療日でしたので、多くの方が殺到したようです。昼食をとってわくわく寄港地「コペンハーゲン」の情報を聞いていると、英語だけでスタッフだけに通じる暗号メッセージで緊急集合がかけられていました。寄港地情報を聞き終えて、診療室に行くと緊急診療が発生して一般診療は一時中止の張り紙がなされていました。仕方がないのでしばらく待っていると、緊急のけが人が出たので、部屋で待機するように言われました。そのあと放送があって、けが人をヘリで緊急搬送するのでそれが終わってから通常診療を開始との連絡がありました。休むつもりだったヨガ教室を途中から参加して、ヘリで運ばれたのは私ではないと、常さんと栗さんに証明するつもりで参加しました。
帰ってくると診療室から呼び出しがあり、診療室で待機しました。結局夕食の17001800には間に合わなくて、9階のリドデッキで焼き鳥どんぶりを食べることとなりました。診療を受けて、前回の薬がほとんど効いていないというと、今回は大量の薬を渡されました。診療費は10700円となりました。その日の夜から大量の薬を飲むことになりました。

6月28日(木)
朝起きるとヨガの佳那子さんからメッセージがあり一時帰国するとのメッセージがありました。驚いて、電話をするとまだ寝ていたようで、昼の飛行機で神戸に帰るが、ニューヨークまでには帰ってくるとのことで、計画を継続することにしました。朝の7時にデンマークのコペンハーゲンに入港しました。オプショナルツアーでクリスチャンボー城やローゼンボー城を見学レストランで名物料理のサンドイッチをいただきましたが、前日からの薬の影響かものすごく眠たくなり、アンデルセンの人形姫を見る頃にはフラフラになってしまいました。ツアーは1515に終わりましたが、帰船リミットが19時でしたので帰船してそのまま帰船して、夕食までじっくりと睡眠をとりました。幾分薬が効いてきたようで咳は止まってきましたが、胃の調子が悪くなってきました。



6月29日(金)
 寄港地明けということで、午前中のヨガの教室はなかったのですが、10時からカルチャースクールの社交ダンスがあったので、12時まで十分に練習をしました。1時からすずさんのところで以前購入したチェリーとブルーベリーでお茶会をして、1400からのわくわく寄港地「ベルゲン」に参加しました。そのあとヨガ・カルチャースクールがどのようになるのかを確認してきました。
結局、担当のチェアリーが佳那子さんの声の録音を流し、そのあとは太陽礼拝を中心にニューヨークまで続けるとのことでした。バンビさんとあったので、バイーアでの生バンド付のダンスをしようとのことで話がまとまり、初めて、生バンドでの社交ダンスを踊ることとなりました。

6月30日(土)
 前日は遅くまで踊っていたにもかかわらず、目覚めもすっきりでした。ノールウエイのベルゲンに朝の800に入港し900~オプショナルツアーでハタンゲンフイヨルドの観光をしました。
ノールウエイでも2番目に大きなフイーヨルドということで、さすがに迫力がありました。