2018-08-01

ピースボート98回クルーズ2018年7月10日~7月18日


2018年7月10日~7月18
7月10日(火)
 独自の行動に慣れてきたので、これまでオプションを取っていましたがキャンセルをして8人の行動となりました。10:00に入港したので安心して10時45分の出発となりました。船から海岸線の埠頭をゆっくり歩いて、休み休みもハリファックス・シダデルまで歩きましたが、90を超える二人には歩くのがきつくなり、シダデルの前で休むことになりました。入場して歩き回るとピースボートの方々に会うことが出来ました。自由行動をとった方もツアーに入った方もかなりの方が音連れたようです。オールド・タウン・ロックの前で再集合して、ザ・ファイブマンズ・フィッシャーマンズ・グリルというレストランで食事をしました。生ガキとタラ・チキンやオーム貝など適度にとってシェアしました。その後パブリックガーデンに行く組と大西洋海洋博物館に行く組とに分かれ、私はパブリックガーデンに行きました。大西洋博物館に行ったときにはすでに先行組はいなくなっていましたが、船の歴史館のようなものでした。船に戻る途中でスーパーマーケットを探しましたがなかなか見つからず、船の前のターミナルショッピングセンターで行くとかの土産物を購入しました。ニューヨークの入国審査の手順が寄港地情報で報告されましたが、フロアというかデッキごとの審査と入国になるため、8人全員がまた待って出発できるかどうかは心配になってきました。市橋佳那子さんと連絡を取り合って何とかスムーズに進めたいと思っていますが、かなりの困難が予想される事態となりました。
寄港地WIFIが使えているうちに何とかしたかったのですが、スムーズな連絡とはならなかったようです。
  
7月11日(水)
 寄港地 明けということで朝のヨガの自主練習はなかったのですが、9:00からは社交ダンス・11:30からは「みんなdeサルサ」があったので、ダンスパートナーのすずさんと2時間近く練習をすることが出来ました。午後からはニューヨーク入港に向けてパスポートを受け取り、米国入国審査対応に準備しました。その後、「米朝会談を巡る日本とアジア」という講演を聞きました。米国も北朝鮮も今回で立場が明確になってきたのに、日本はどのようにしていきたいのかが、不明となっている」との川崎哲さんの主張に共感しました。夕食後は明日のニューヨークでの自主的観光グループの調整を行いました。
 
7月12日(木)
 ニューヨーク入港は10:00頃でした。入国審査が厳しくなって各階ごとに審査を受けるとのことで、14:00からのミュージカルに間に合わなくなりとのことでしたが関係者の方々のご協力により、何とか12時には会場に着くことが出来ました。日本に帰っていた市橋さんと港前で合流して、会場に迎えましたが大きなリックにテントを入れていました。会場に向かう間に数人の知人が、同じ方向問ことで同行しました。まずミユージカル会場でバウチャーチケットから座席シートチケットに交換してから、会場の近くのピザ屋さんで大きなピザをシャアしましたが、同行していた中国人の方も加わり総勢9名での昼食となりました。大きなピッザとサラダを分け合って楽しくいただき、ゆっくりと会場に入ってミュージカルを鑑賞できました。「オペラ座の怪人」というミュージカルでしたが、すべて英語なので言語は、理解できないところもありましたが、演出や音楽・舞台装置など感動しました。夕食をワールドトレードセンター近くに予約していたので、記念館やサウス・ストリート・シーポートなどを観光した後に、トレーディングポストNYCというレストランで会食をしました。念願のボーンステーキやしし唐の空揚げやシーフードなどを注文、8人でシェアしておいしくいただきました。食後はブルックリン・ブリッジを渡りニューヨークの夜景を堪能しました。ブルックリンブリッジからタイムズスクエアまで地下鉄を利用して、再度、ブロードウエイの繁華街を歩きましたが、昼間より人ごみが多く途中で一人はぐれる事件が起こり何とか船に戻った時は、深夜の12時近くとなっていました。
 市橋佳那子さんはずーっと重い荷物を背中にしょったままでした、一時、常さんが交代しましたが、大変な重さだったようです。
 
7月13日(金)
 朝、8時半に独自に歩くというので7人のグループとなりました。昨夜、はぐれてしまった方からも連絡があり、先に帰船していたとのことで安心しました。7名でグループ行動の確認をしてセントラルパーク・メトロポリタン美術館を目指しました。途中でジョンレノンの記念メモリアル「イマジンプレート」を見て美術館に行きました。音声ガイドを借りましたが、音声ガイドのままでは時間が足りなく、ガイドを断念しで関内案内図に従って急いでみることになりました。館内で同室の加茂さんに会いましたが、グループとなった9人は待ち合わせ場時間になるまで会うことが出来ませんでした。昼食は、常さんが調べていたイタリアレストランでピザとパスタをシェアしていただきました。昼食後はそれぞれに解散し、私と常さんと栗さんで国連本部やエンパイアステートビルに行き帰線途中で、一度解散したメンバー度偶然に合流してお酒を買って、19時半頃に帰船しました。夕食は香港出身の方と同席となり、片言の英語と片言の日本語で歓談しました。とても歩き回りました、2日間で5万歩以上の歩行となったようです。思い出深いニューヨークとなりました。

7月14日(土)
 寄港地明けでしたが、朝の9時からヨガ教室、11時半からみんdeサルサがありました。サルサにはツアーで同行する、カッチャンが参加することとなりました。午後からは社交ダンスが社交ダンスが始まったので久しぶりに、練習を再開しました。1時間ほど練習をして4回目の「航路と航海の雑学」を聞きました。パナマ運河に関する話題で、今回の船旅の目玉の一つの「スエズ運河」と「パナマ運河」を航行する話を地球規模での説明となりました。夕食はダンスパートナーのすずさんとバンビさんと私たち3人で5人での会食となりました。波へいという居酒屋で、「しゃぶしゃぶ」コースを食べました。5人で食べたのですがお肉と野菜の量が多く、2時間以上かけてゆっくりと会食を楽しみました。

7月15日(日)
 朝早くからのヨガ教室となりました。健康サルサがあったので栗さんは健康サルサに行き、常さんと朝食をとり社交ダンスやサルサダンスに参加しました。10:00~元朝日新聞社の伊藤千尋さんの講演「9.11からトランプまで」の話を聞きました。アメリカの民主主義についての話でした、さまざまな側面を持つアメリカの面を考えさせられました。午後からすずさんのところでお茶会の予定でしたが、急遽、音楽祭で出演者から写真を撮ってほしいとの依頼がありお茶会をキャンセルして音楽祭に参加しました。楽器を使っての演奏が多く、依頼した下原チエさんは「バラが咲いた」を歌いましたが、なかなか聞かせるものでした。多くの方は舞台での発表を楽しんで、頑張っていました。音楽祭を終えて「わくわく寄港地・ハバナ」を聞きましたが、ハバナでの観光は規制が多く、他国の通貨は使えないとかクレジットカードは使えないとかで、なかなか自由な観光は期待できそうもありませんでした。就寝まじかに大島さんが部屋に来て、クレジットカードに関する質問をお聞きしました。なんでもご主人からファックスが届いて、クレジットカードが使用停止になるようなので、クレジットカード会社に問い合わせるようにとのことでした。寄港地で数回使ったようですが、限度額を超える金額は購入の覚えがないとのことなので、まずはファックスで利用状況を連絡して、WIFIが使えるようになればライン電話を使って御自宅に連絡をしたらどうかと助言させていただきました。さまざまなことが起きるので、毎日が退屈をしないで過ごせています。
 
7月16日(月)
今朝は、ヨガ・ストレッチから始まりました。みんなdeサルサがパスポートの受け渡しや他の水先人案内の企画と重なって無くなってしまいました。午後からも「コスタリカってどんな国」という講演があって、楽しみにしていた社交ダンスの時間はとても少なくなってしまいました。
常さんは、午前中からプールが使える状態となったので、水先人企画は参加せずに泳いだりストレッチルームで運動をしていました。水先人案内人企画では、コロンビアとコスタリカについて紹介されました。あまりなじみのない国でしたが、国民の幸福度指数が第1位ということで、なぜそうなったのかについて関心が寄せられていました。特にコスタリカについては三権分立ではなく選挙管理権を加えて4件が分立しているとのことでした。
また、水先案内人の伊藤千尋さんからは「ゲバラの夢・キューバは今」というテーマでお話をいただきました。キューバは社会主義国ですが、他の社会主義国とはかなり違った自由でおおらかなラテン系の社会主義といって高く評価していました。特に、個人崇拝の禁止を憲法に歌うほどに平等性を強調している国といえる、そしてアメリカに亡命といっては出稼ぎに行くしたたかさを持った国として紹介されました。これまでなじみのない国でしたので大変参考になりました。
いよいよ明日はキューバに上陸となります。なんだか興奮してきました。

7月17日(火)
 キューバのハバナに朝の6時に到着しました。朝から蒸し暑くなっていました。オプショナルツアーに入っていたので、朝の7:45分に集まってバスに乗り込みました。このコースの人員は190名と多く5台のバスで回ることとなりました。まずはゲバラの肖像画のある革命広場と革命博物館に行きました。博物館ではゲバラとカストロがメキシコから、武装蜂起しようと定員が20名程度のクルーザーに80名ほど乗ってきたのですが、生き残ったのは17名だったという船を見ることが出来ました。また、革命博物館にはアメリカCIAによる反革命策動に使われた飛行機や戦車やジープが展示されていました。その中にトヨタのランドクルーザーが並べられていました。嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになりましたが、キューバ人のしたたかさにも感動しました。アメリカから攻撃されても、その武器や車を奪ってそれを丁寧に直して自分たちの武器にするたくましさを感じました。街の中には1959年代のアメリカの車(キャデラックなどのオールドカー)がピカピカに磨かれて走り回っていました。街はスペインの植民地時代やアメリカの統治下時代に建てられた建物も多く、ハバナの市街でも廃屋となっているところもありました。アメリカによる経済封鎖が続く中で、逆に、有機農業を推進したり、逆境をバネにして革命を推し進めるキューバ型の社会主義を見ることが出来ました。一部の金持ちの国ではなく貧しい国民の共存による社会は学ぶべきところが多いと思いました。しかし、米ドルもユーロも使えなく旅行者観光者用のキューバペソでしか買い物が出来ず、寄港地WIFIも使用できないという不自由さはありましたが、もっとゆっくりと落ち着いて、旅をしてみたい都市でした。

7月18日(水)
寄港地明けでしたので、朝のヨガや健康サルサ・みんなdeサルサはお休みとなっていました。水先案内人の企画が昼食や社交ダンスとかぶるようになって、2者択一を迫られる状況でした。明日のケイマン諸島のジョージタウンのわくわく情報を聞いた後、社交ダンスに行って練習をしましたが特訓状況となってしまいました。その後、久しぶりにすずさんの部屋でお茶会となりました。いただいたマンゴもちょうど食べごろとなっていました。すずさんが釧路で下船との話を聞いて、常さんも栗さんも荷物運びだし作戦を考えたようです。水先人案内人の伊藤千尋さんの「カリブの海賊」というお話を聞きました。海賊はいくつかのおきてを持っていましたが、結構民主主義的な側面を持っているということを感じました。明日のジョージタウンがカリブの海賊のすみかであったこともあって、興味深くお話をお聞きしました。


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