2018-08-10

ピースボート98回クルーズ 2018年8月1日~8日


8月1日(水)
寄港地明けで朝のヨガ・ストレッチはなく、自由練習の社交ダンス広場でした。いつもの8Fの会場ではなく7Fの舞台のある会場でした。舞台に上がらずに練習をしていると、私たちの共通のダンスの先生が来て、昨日、意識不明で病院に運ばれたとの話をされました。驚いいて聞いてみると数日前から寒気をしていたようで、9度8分の高熱が出て意識不明となり、そのまま病院に運ばれたとのことでした。しばらくは安静ということでお酒も激しい運動も中止とのことでした。
同じ会場で、南中ソーラン節のリ派^猿があったのでそれを見学して、栗さんとすずさんで昼食のカレーうどんを食べました。常さんに連絡しましたが、連絡が取れずどうしたかと思っていたら、習字の会の方に頼まれて、展示物の張り出しに協力していたようでした。
その後、日本伝統文化・芸術の集いに参加しましたが、急に眠たくなって部屋に戻って仮眠しました。夕食前まで寝てしまいましたが、早めに夕食をとり夏祭り盆踊りの練習に行きました。炭坑節と、東京音頭、中国のダンスと一休さんという踊りを練習しました。

8月2日(木)
 今朝は6時からヨガ・ストレッチがありました。昨夜からイベントが遅くにあったため、参加者が少なくなっていました。私とダンスパートナーのすずさんは、何時もの通り初めての社交ダンススクールに参加しました、これまでにジルバとブルース、ルンバは何とかマスターしましたが、ワルツで新しいステップを紹介されたので師匠の水谷さんと一緒に練習を始めました。続いて、みんなdeサルサに参加しましたがここでも、新しいテクニックが紹介されたのでこれも師匠の水谷さんとすずさんとで練習を行いました。ところが水谷さんのサルサダンスのパートナーの方が下船されたので13日のダンスパーティではその方の替りに踊ることにしました。昼食はちゃんぽんで久しぶりに常さんや栗さんと一緒に昼食をとりました。午後は一休みをして明日3日の盆踊りの練習に参加しました。踊る演目は、炭坑節と東京音頭、中国のヤンク踊りそして青年が主人公の「一休さん」です。常さんは中国風の踊りに手こずっているようです。

8月3日(金)
 今日は、98回洋上祭り“蒼海際”(そうかいさい)、ということでいくつかのセレモニーやイベントが行われました。多くは若い世代が企画から制作・準備を行ってきて、お化け屋敷や盆踊り大会、浴衣ファッションショーが開かれました。朝600からのヨガ・ストレッチは前日に比べて多くの人が参加していました。担当のチアリーに言わせると、時間を1時間遅らせるのを忘れた方たちが、次の時間と間違ったのではないかと疑っていました。社交ダンス「初めての社交ダンス」スクールでは、すずさんとバンビさんも参加して2時間ほど練習をしました。
 栗さんが浴衣ファッションショーに出るので、その説明会が行われその終了を待って、常さんと大島さんと合わせて4人で昼食をとりました。
 3時からファッションショーが始まりましたが、栗さんは3番目の登場でした。私は静止画像を取り常さんが動画を写すことにしましたが、写す寸前に画面が消えたようでショーの間での撮影は失敗しました。その後、控室での写真と動画を写したので、記念写真は確保されたようです。夜の830より盆踊りとなりました。中心にプールのある9Fのリドデッキで、若者が中心となっての踊りが続きました。風が冷たく感ぜられましたので、多くの方は上着を羽織っての盆踊りでした。練習通りに、炭坑節、東京音頭、ヤンク踊り、一休さんが終わったころは22時を回ってしまいました。博多から来た安倍和子さんにリードをしていただき、何とか終わりまで踊ることが出来ました。




8月4日(土)
 何とか通常のスケジュールとなってきました。朝600からのヨガ・ストレッチ、900からの社交ダンス、1130からのみんなdeサルサなど、午前中は充実したスケジュールとなりました。午後は「航路と航海の雑学」の最終回となりました。58日の横浜出港以来の経路をたどり、これからのシアトルと釧路そして横浜・神戸へと地球一周の航路の説明がありました。さまざまな寄港地ごとに、思い出もありすでに90日の日が経過したことに驚きました。夜は、この旅行で私たち3人が乗船するのに担当をしていただいた、ジャッパングレイスの杉本さんを囲んで食事会をしました。合わせて、今後の下船手続きに関する情報をいただきました。予定は700からでしたが、遅れて8時ころになってしまいこの日も1000まで起きていることになりました。

8月5日(日)
 通常のスケジュールとなりましたが、すずさんのところに預けていた洋ナシを食べようと、1430分に連絡をして調整をしたのですが、常さんが名簿作成で用事が出来たので明日に変更しようと言い出し計画は、明日に変更することとなりました。朝のヨガストレッチでわかったのですが、市橋佳那子さんの「気軽にインドでヨガバケーション」という企画があり、フルーツパーティを変更して聞きに行くことにしました。ピースボートセンター前のアゴラというスペースで市橋佳那子さんがインドの服装と額にインドのほくろのようなマークを書き込み、すっかりインド人の雰囲気となっていました。
話の内容は昨年にインドのヨガ学校に行った時の生活や学習内容の紹介、費用の紹介などでした。市橋さんの人気が高く、ヨガ・ストレッチ教室の受講者70名~80名が集まりました。そのほかの会場も休みになったので、その会場からの参加者を合わせると100名以上の方が参加したようです。夕刻、「西日本豪雨祭が現状&支援状況報告」があったのですが、ピースボート災害支援センターの活動報告が主となっていて、被害状況についてはあまり状況はわかりませんでした。支援状況の報告としては少々難しいところがありました。
8時以降に、いつもお世話になっているチャアリーさんが92回クルーズ報告に出るというので参加しましたが、他のクルーズの者にとってはなかなか判りづらいものがありました。

8月6日(月)
 朝6時からのヨガ・ストレッチ教室でしたが、担当のチアリーさんが開始10分前に現れず、きっと前日の報告会の後、打ち上げで飲みすぎたのだろうとの話となりました。ぎりぎりに表れて何事もなかったかのように、スタートしましたが先に、市橋さんとチェアリーさんから昨日は参加いただきありがとうと言われ、拍手で歓迎しました。午前中にシアトル入国のためのパスポートの受け渡しがあったので、社交ダンスの途中休憩に受け取りました。サルサの教室ではバンビさんとペアを組む関係で、特に集中して練習を重ねました。昼食を9Fのリドデッキで食べようとしていると、栗さんとヨガの市橋佳那子さんが現れ私たちは担担麺を確保し、お市さんはチキンハンバーグとサラダと席を確保するという分担としました。シアトル観光をお市さんとすずさん、月尾さんとわれら3名で行こうとして、打ち合わせを昨日から延期したフルーツパーティと合わせて実施しました。シアトルの観光順番を、①スターバックコーヒー本店、②昼食、③スーパーの買い物、④水族館、⑤クラムチャウダーとおいしい魚料理、⑥大観覧車で回ろうと打ち合わせました。また、すずさんが釧路で下船することを断念したとの報告がありましたが、気の毒な状況でした。
明日のシアトル自由観光なのですが、同行する月尾さんが午前中から行方不明とのことで、心配をしていましたが、前日から部屋の中が水浸しになったようで、それを乾かす作業が入っていたために、友人の部屋で寝ていたとのことでした。夕方になって栗さんが、事情を聴いてきて明日は大丈夫との話になりました。また、お市さんから雅さんに変えて、同室の女性を同行するとのことでやはり明日は6名の団体となります。

8月7日(火)
 いよいよ、最後の外国寄港地のシアトルに着岸しました。朝7:00の入港でしたが、600台には港に入って、寄港地で使えるWIFI(AUの世界データ定額)を始めると、AUのキャンペンで81日から91日までハワイ・アラスカ・等の無料キャンペーンがあり24時間のWIFIが使えました。朝食を終えて、シアトルでのアメリカ入国対面審査が行われましたが、客室のフロアに加え、奇数番号部屋か偶数番号部屋かでその順番が変わることとなりました。私たち3人は4番目でしたが、一緒に行く月尾さんは7番目となったため、船の外で待つのが大変なので、一番遅い月尾さんの順番に合わせることとしました。当初は、9時に5階の舷門集合することにしましたが、集まっては時間延長を繰り返しながらやっと1030頃に入国対面審査に行くことが出来ました。審査の内容はパスポートの顔写真の確認と指紋判定ですが、他の6人は指紋判定がありましたが、私だけありませんでした。



 自己紹介をしてお市さんを先頭に、まずはパイク・プレイス・マーケットに向かい、スターバックスの1号館でマグカップを購入しようとしましたが、ものすごい行列が出来ていて時間がかかりそうでしたので、先に昼食をとることとしました。スターバックスのお店の裏の通りで、メキシコ料理のお店でタコスやサラダを5人でシェアする格好で食べました。お市さんと連れの女性はドルを持っていないとのことで、2人分をクレジットカードで精算するとのことでした。
 昼食を済ませて再度スタバの1号点に来ると幾分空いてきたようでしたので、マグカップを買う人とマーケット見学をする人に分かれました。マーケットには魚や果物のほかに衣服やアクセサリーもあり、上野のアメ横のような雰囲気のお店となっていました。
 マグカップも購入できたので、水族館に行くことにしました。一人30ドル近くなので躊躇しましたが、せっかくなので見ることにしました。イソギンチャクやヒトデ、などは手で触れることが出来、タコのエサの支給場面など子供が喜びそうなスペースが多くありました。
 水族館を出た後、再度、パイク・プレイス・マーケットで買い物をしたいとの話で、1時間ほどついやし、モノレールでスペースニードルを目指しました。スペースニードルからの眺めは、シアトルを一望できるものでしたが、女性軍は疲れてしまい私たち3人で上りました。
 帰りのモノレールで運転席の隣に座ると、黒人の運転手がハンドルを示し、2回押せというので指先で触れると列車発進のブサーがなりモノレール前方の景色を楽しむことが出来ました。

 夕食は港に近いレストランで、牡蠣やクラムチャウダー、サーモン料理などをシェアして、食べました。お市さんとその連れの方にはすっかりお世話になったので、彼女たちの分も含めて5人で割り勘としました。トラブルは多少ありましたが、楽しく過ごすことが出来ました。夜は930分が帰船でしたが、910分ごろに帰船となりました。1030~出港パーティと寄港地振り返り映像の放映があったようですが、眠たくて私は不参加としました。


8月8日(水)
 朝、6時半に食事に出ましたが、今日は寄港地明けで午前中は社交ダンスの自由練習だけとなりました。昼食はたぬきとろろソバと白身魚のフライでした。昨日同行した、すずさんも同行したいとのことで4名で昼食をとりました。午後300~ヨガ・ストレッチ教室でしたが、15日のお別れ会の沖縄の踊りを4時から開始するとのことでストレッチ教室はお休みすることにしました。
ところが、340頃になって今日の練習は中止との連絡が入り夕食までの企画はなくなりました。夕方6時からバンビさんとの会食をしました。この日は1時間ほど時間を遅らせるので、遅くまで起きても明日の朝は遅く始まることとなるので、ゆっくりと食事をしました。パーティセット一人1000円で、飲み物別となっていたのですが、夕食も兼ねての快気祝いとしたため思い切ってステーキを頼むこととしました。4人でシェアして食べましたが結構やわらかくておいしい肉でした。バンビさんの病状や今後の予定などをお聞きして、残された数日を元気に過ごそうと、励ましあいました。途中、翌日の麻雀大会の申し込みが始まったので、栗さんの予約もしておきました。かれこれ3時間ほど歓談してこれまでのお付き合いの御礼をさせていただきました。


0 件のコメント:

コメントを投稿