2018-08-01

ピースボート98回クルーズ2018年7月19日~26日


2018年7月19日~26日

7月19日(木)
 今日は、ケイマン諸島のジョージタウンという小さな島に行きました。昔は海賊の本拠地としていましたが、スペインやイギリスが植民地化しては支配してきたところでした。現在もイギリスの影響が強く、リゾート地としてセブン・マイル・ビーチなど発達してきています。常さんは海で泳ぎたいというので、同室の方と海に向かいましたが、私と栗さんは90回クルーズでも同行した大島さんと倉持さんと一緒に植物園とクリスタルケープという洞窟とウミガメの養殖場を観光しました。




タクシーをチャーターして3か所を回ったのですが、どうもクリスタルケープは私たちが考えていたところとは違っていたようでした。3か所目を終わったところで、昼食の会場を運転手に聞くと、中華料理屋に連れていかれました。きっと中国人に間違えられたようです。遅めの昼食をロブスター・レストランで食べましたが、ランチを注文しましたが、結構おいしく食べられました。近くのスーパーマーケットでラムカーキやサクランボを購入しました。ダンスパートナーのすずさんに偶然会うと、何か高級ホテルの部屋の貸切を使って水泳や食事を楽しんだようです。そのような楽しみ方もあったとのことで参考になりました。

7月20日(金)
 寄港地明けということで、ヨガ教室は朝の8時から始まりました。朝食を食べた後のヨガ教室でしたので少し体が重く感じられました。続いて社交ダンスが始まりましたので、タンゴの練習を中心に2時間ほど行いました。わくわく寄港地カタルヘナとみんなdeサルサが重なりましたが、栗さんが代表して寄港地情報を聞きに行き常さんとサルサに参加しました。ところが常さんは体調が悪くなり途中で帰り、昼食も夕食も取らないという状況になりました。乗客全員を対象にした避難訓練もありましたが、それにも参加できなくなったようで部屋で寝込んでいました。心配して、病院に行こうと話しましたが、断食をすれば治るというので回復を待つことにしました。
夕食は同室の加茂さんと栗さんの3人で食べることになりました。道内乗船者集まれという案内があったので、加茂さんに勧めて一緒に集合場所に行ってみました。結構、顔見知りの人もいましたが、次の南十字星を見ようという自主企画が同じ集合場所でしたので、そちらに参加しました。

7月21日(土)
 今朝は、朝6時からのヨガ教室があったのですが、波が高く揺れが激しいので中止となりました。6時からモーニングコーヒーを楽しんで、6時半から朝食をとっていると、常さんが現れ食欲がわいてきたので食べることにしたとのことでした。食べられるようになれば一安心ですが、無理をしないようにしてもらいたいものです。9時からの社交ダンス、10時からの水先案内人の「トリセツ・カラダと死因不明社会」の講演をお聞きしました。水先案内人の海堂尊氏はペンネームでテレビドラマでチームバチスタの原作者として知られているようです。その後みんなDEサルサに参加しましたが、サルサのコーチの田村美和子さんが船酔いとなり、あえなく中止となりました。午後はパナマ開運歴史、の講演の後、すずさんのお部屋でお茶会でしたが、常さんの調子が悪く代わりに同室の加茂さんをお誘いして、先日植物園でいただいたマンゴとチェリーをいただきました。特にマンゴは完熟していてとても甘くおいしくいただきました。伊藤千尋さんの講演では、パナマの歴史や反米大陸の話がありました。説得力のある話でとても参考になりました。水先案内人の企画が多くなり、スケジュールを調整しながら忙しく参加しました。


7月22日(日)
 コロンビアのカタルヘナ港に6:00に入港。朝8:00集合のオプショナルツアーに参加しました。バスにて旧市街の方向に行きカタルヘナオペラシアターにて民族舞踊を楽しみました。ラテン系の激しい音楽に乗せて、若者が踊る姿は躍動感があり素晴らしいものでした。そのご、旧市街のサンペドロクラペール教会やボリーバル広場、サンタテレサ広場などを観光しました。スペインの支配が長く、公用語はスペイン語となっていました。スペイン統治時代から要塞都市となっていて、いたるところが要塞の高い塀で囲われていました。教会や広場に面した施設は、昔の修道院や宗教裁判所などが多く、独立後に商業施設やホテルに作り替えられたものが多く残っていました。昼食後にサン・フェリペ要塞を観光しましたが、規模も堅城さも抜群で一度も落城したことのない要塞とのことでした。


 ツアーから帰ると、同じポートで帆船の大会のようなものが開かれていました。アメリカ大陸を中心に10数か国の帆船が集まって、船内を公開していました。ツアー帰りのクルーも多く観戦していました。今日、カタルヘナの出港式に盆踊りを行うということで、栗さんが浴衣を着て参加しました。明日はパナマ運河を通り、パナマ市街の観光があるので楽しみにしています。
 
7月23日(月)
 パナマのクリストパル(カリブ海側)に23日13:00に到着しました。私たちは14時15分の集合でバスを使って太平洋側のパナマシティの見学をしました。以前は治安が悪くあまり観光が出来なかったようですが、新しい街、カスコ・アンティグオを歩いて観光しました。サントドミンゴ修道院からサンホセ教会やフランス広場を見学、ボリバル広場の近くのレストランで食事をしました。夕食は19時台に終了しましたが、また、カリブ海側に停泊しているピースボートに戻りましたが、思ったほどの渋滞もなく21時前には帰線することが出来ました。帰船リミットは22時でしたので近くのスーパーや土産物屋に寄りました。
 話題のゲイシャコーヒーを探しましたが、スーパーにはなくて恵庭のすずさんがお友達に頼んだのが一つだけ確保されたようでした。



7月24日(火)
 朝、4時にクリストパルを出港しパナマ運河カリブ海側から太平洋側のパナマシティに向けて最初はアグア・クララ閘門・ガトウン閘門をへてガトウン湖に来ました。ガトウン湖にしばらく滞在して次に下りの水門に向かいました。まずペドロ・ミゲル閘門で水位を下げて、次のミラフローレス閘門で太平洋側の水位と合わせパナマシティに行きます。
 朝の6時台から閘門の近くに来るたびに、船内放送で案内があり閘門の開くタイミングを教えてもらいました。朝の4時ころからのイベントですが、約12時間かけてのパナマ運河の運航は迫力がありました。午前中の合間を見計らって、恵庭のすずさんの部屋でフルーツパーティを行いました。その後、社交ダンス練習をしましたがなかなか時間が取れなく、昼食を一緒してから解散となりました。午後はそれぞれに、放送の案内に従って閘門の見学に行きました。

7月25日(水)
 久しぶりに朝の6時からのヨガ教室でした。担当スタッフのチャアリーさんからお市さんが船友いらっしゃいに出るので、来てくださいとの案内がありました。社交ダンスとみんなDEサルサを終えて、昼食をとって船友さんに行くと大勢のお客が来ていました。常さんと最前列で応援しましたが、栗さんは次の水先人案内の席取りのため船友は欠席となりました。お市さんの経歴やヨガ担当トレーナーになった経過などが話され、そのあとで司会者の田村美和子さんから次回28日の船友は3人の方ですと私たちの紹介がありました。
 午後からは、軍隊を無くした平和国家コスタリカ(伊藤千尋さん)のお話しとわくわく寄港地プンタナレス(コスタリカ)の情報提供がありました。もう一つ「持続可能な開発のためのパートナーシップ」という水先案内人企画がありましたが疲れてしまって、パスすることとなりました。
 明日は、プンタナレス(コスタリカ)寄港ということで、朝が早くて大変の様でしたので早く眠ることとなりました。
  
7月26日(木)
 朝6時にプンタナレス入港の予定でしたが、若干遅れてしまい集合時間も少しずつ遅くなってしまいました。食事が5:45分からとることが出来たので朝早くから食事をとり用意していたので多少ゆとりが出ました。当初6人くらいで同じバスにしようとしましたが、先頭に行った方と後が繋がらなく違うバスとなってしまいました。1時間半程度でプンタナレスからサンホセに行きましたが、途中の通訳の意味が分からなく大変困ってしまいました。
 サンホセに着くとサバナ公園近くの土産物屋に行きました。プラ・ヴィータと書いてあるTシャツとピンを買いましたが、栗さんと常さんは他にコーヒーを購入していました。国立劇場と国立博物館を見学、コスタリカ美術館を見学しましたが土産物屋で買い物をしていると、スコールがあり大雨となってしまいました。さらに、乗っていたバスが故障してしまい、新しいバスに荷物を運んで乗り換えることとなりました。さらに、通訳も日本人になり何とかオプショナルツアーとなりました。植物園で昼食をとって、園内を観光しましたが、ランの花が見事でした。



食事をとっていると、周りにマンゴの実がたくさん落ちていました。栗さんは素早く包んで恵庭のすずさんに持っていこうと言い出し、結局、数個持参することになりました。
船に戻って、常さんと私の隣の夫人はスーパーに買い出しに行くとのことでしたので、常さんと加茂さんと恵庭のすずさんを誘って夕食をとりました。マンゴーを渡したので数日後にはフルーツ会をすることになりそうです。
 

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