2016-02-28

ピースボートの旅2016年2月21日~28日まで

2016年2月21(日)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
朝6時に最南端の灯台と十字架を見ましたが、朝早いために写真に写すほどの景色にはなりませんでした。日本の家族とラインを使ってテレビ電話を楽しみました。南の端の夏と12時間前の日本の冬の気温が同じくらいでした。不思議なものです。朝7:30頃日本の家族と連絡を取って、その後は氷河軍の中を通りました。7階のデッキを解放していただきましたが、とても寒く長時間は観覧できないほどでした。しかし①オランダ氷河②イタリア氷河③フランス氷河④ドイツ氷河⑤ロマンチェ氷河と案内があるたびに、カメラを持ってデッキに飛び出し写真を写しまくりました。幸運なことにちょうど見えるころに天候が回復し、見る角度が悪くなると曇り空になるという観光には適した天候になりました。

2016年2月22日(月)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
この日も朝から氷河鑑賞の日となりました。この海峡で一番大きく壮大な「ピオ11世」氷河を見るためにわざわざ、行き止まりの水路に入りそこで記念写真をを取るというものでした。今回のクルーズの記念イベントとして言われるとおり、その規模やスケールは壮大なものでした。朝8時ころから案内が入り、船はピオ11世氷河の前で旋回し、船尾を氷河に向け船尾デッキに集まったメンバーのバックに氷河がみられるという演出がなされました。今回も、ところどころ曇り空でしたが、氷河の前に着くと晴天となり見事な氷河観察と記念写真会となりました。幸運に恵まれたピースボートのメンバーとなりました。

2016年2月23日(火)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
バテリアの練習が始まりました。希望としては大太鼓のスルドという楽器ですが、意外と希望者が多くポジション争いが激しくなりそうです。しかし何とか希望者全員が練習さんかして少しでも発表会に出られるように工夫したいものです。音楽祭では、20分間ぐらいの持ち時間のようですが、サンバカーニバルで作曲したビバサンバともう一曲、マルゲリーダを演奏する予定です。サンバ教室のマーク先生にも話をして、楽曲と踊りの応援をいただこうと思っています。船はパタゴニアのフイヨルドを抜け太平洋側に出ましたが、波が高くまたフイヨルドの水路に戻りよく日太平洋側に出ることとなりました。船内では朝の太極拳やヨガ・サンバエクササイズも揺れのため中止となりました。午後から幾分揺れが収まってきましたが太平洋側の寒流のためか、温度が上がらず寒い一日でした。しかし世界で一番大きな鳥といわれているワンダリング・アルバトロス(わたりアホウドリ)が数羽、船の周りを旋回して乗船員の目を楽しませてくれました。羽を伸ばすと3メートルを超す鳥が船の横やすぐ頭上を飛ぶと、デッキに居合わせた人たちが歓声を上げるほどでした。大急ぎでカメラを持って、追いかけましたが70枚以上取りましたがキッチリと図鑑に載っているようには写せませんでした。


2016年2月24日(水)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
太平洋に出て北上をしているのですが、相変わらず寒い一日でした。太極拳やヨガ・サンバ教室は予定通りに実施されました。ピースボートの企画で「日本人とはなんだろう」というパネルディスカッション的なものがありました。国籍を2つ持っている方や親の国籍が違う方に加えて、クオーターの方などから、日本人と感じるときなど外国の生活文化を持った方たちから見た日本人の話であった。船内に400名(従業員を含めて)くらいの外国の方がいるわけで、結構国際的な状況になっていると感じます。改めて日本人とはなんだろうと考えると、よい面や悪い面もありますが、一番の決め手は思想・考え方かなと思いました。その後、CCレイチェルさんの「先住民と有色人種目線の米国史」の話をお聞きし、世界的な見地からのものの見方も今後必要な視点かと改めて思い起こしました。一日中、勉強させられる日でした。

2016年2月25日(木)パタゴニアフイヨルド~マゼラン海峡・チリ(バルパライソ)
朝から涼しげな朝でした。もうすぐバルパライソに着くというのに肌寒く、一日中長袖のトレーニングウエアを着たままの一日で、ヨガやサンバエクササイズの教室に加えて、バテリア練習とフォークダンスと忙しい日となりました。明日、バルパライソに到着とのことでチリへの入国書類を受け取り、記入しておくようにと指示がありました。入国書類とは、自分以外の人の荷物を持っているか?動植物の所持品はあるか?自分以外の人の申請もするか?1000ドル以上の米貨を持っているか?の4項目ですが、特に植物の持ち込みには厳しいようでした。実際には15;00頃にはバルパライソの港の沖合に到着して、チリの監査員が船ごと検査をして翌日の朝8時に入港するとのことでした。沖合に停泊している間に海を眺めていると、オットセイが現れ船に沿って踊るように浮き沈みを繰り返していました。同室の鳥博士も様々な鳥が現れたといって興奮していました。
特にペルーペリカンや南セグロカモメなど1.5メーター級の鳥も現れて大喜びでした。また、アザラシやクジラの潮吹きを見た人がいるとのことで、海の観察者は大喜びでした。

2016年2月26日(金)バルパライソ
朝8:00に入港しました。朝の6時ころから港に入ってきたので街の明かりがとてもきれいで、多くの乗船員が夜景?に見とれていました。スペイン語で「天使の谷間」と呼ばれるところで、述べる文学賞を得たラルフネーダーの別荘が丘の上に立っている町でした。私は、首都サンディアゴの観光のツアーを選びました。アジェンデ大統領が軍事クーデターで政権を奪われその場で自殺したといわれる「モネダ宮殿」とアジェンデ大統領の銅像の前で記念写真を撮りました。圧倒的な支持を得ていたアジェンデ大統領ですが、アメリカのCIAとチリの軍部が手を組みアジェンデ大統領のいる宮殿を爆撃し自殺に追い込み、その後の軍事政権の横暴は現代もチリの歴史の汚点として語られているとのことです。現在、軍事政権は終了してはいますが、いつまた軍事政権に戻ってしまうのかの不安は国民に大きな重しとなっているようです。その後、丘の上にあるマリア像を見に行きました。ブラジルにもキリストの大きな像がゴルコダの丘の上にありましたが、サンディアゴではマリア像がサンクリストバルの丘の上にそびえたっていました。キリスト教を普及するために街を見下ろす丘の上にイエスキリストやマリア像に立てるのは征服者の象徴のようで私的には好みませんが、この国の歴史の一つと思いました。その丘に登るのはフニクラ(FUNICULAR)というケーブルカーで、日本のフニクラという歌との関係を考えてみましたが、あれはイタリアの歌だとわかりなお疑問が増えてしまいました。昼食は海鮮料理ということで市場の中のレストランに入りました。タラに似た白身魚のスープと焼き魚は美味しかったのですが、タラバガニのゆでたてが出ましたが、日本で食べたタラバガニの味の方がこくがあってよかったような気がしました。



2016年2月27日(土)バルパライソ~イースター島へ
寄港地翌日でしたが、太極拳が船揺れが激しいために中止になった以外は、ヨガ教室もサンバ教室も通常に行われました。バテリア練習はミーティングだけで実際の練習は行いませんでした。ミーティングではチームリーダーにCCの沼田夏奈さんがパートリーダースルドにVIKEYとAMEYが、パーカッションに近藤夏子さんがなりました。指揮者のようなものに安藤あゆみさんがなり練習の日程確保の担当に希望して当番に加わりました。これから毎日練習が始まるので結構忙しくなりそうです。明日は朝8:00~家に連絡する予定です。日本は夕刻の20:00の頃です。

2016年2月28日(日)バルパライソ~イースター島へ(3月3日)

朝8:00に家とテレビ電話をしました。明日から13時間の時差となるようです。気温はようやく上昇してきたようで、今後は長袖のシャツは必要なさそうです。船内の衣料品のクリーニングは60センチ×40センチの袋に30アイテムを限度に詰め込んで、1回350円というシステムです。寝間着からトレーニングウエア・ジーンズ・長袖の袖付シャツやパーカーなどの上着やアンダーシャツやパンツ、靴下まで入れても十分にあまるほどです。週1回程度出すのですが翌日には仕上がってきますので、自分で洗濯する必要はまったくありません。とても便利です。モーニングコーヒーとパン・朝食・昼食・アフタヌーンティ・夕食と一日5食となっていて、運動をきちんとやらないと太ってしまう状況です。体重計を持ち込んで当初は量っていたのですが、船が揺れると測定が不能となり、計測できない日が続いたため現在は、体重測定は中止しています。体のキレ状況からすると若干太った気はしますが、日本に着く前には調整したいと考えています。結構イベントが多くなり、物好きな私としてはどこにでも顔を出してしまうので、忙しい毎日となっています。

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