2016-03-10

ピースボートの旅2016年2月29日~3月9日

2016年2月29日(月)バルパライソ~イースター島へ(3月3日)
うるう年の2月29日、4年に一度の29日で誕生日の話題で盛り上がりました。実際には前日か翌日の3月1日にするのが普通のようで、実は私の父も2月29日生まれであったことを何気なく自慢していました。4年に一回の誕生日なのでまだ10代だといってはしゃいでいました。
船の中ではいつものように太極拳やヨガ・サンバの教室に加え、健康サルサとサルサダンス教室が始まってこれに加えて、サンバのバテリア練習が加わり朝の6時から昼過ぎまではぎっしり予定が組まれてしまいました。午後にはフォークダンス教室と「洋上ミュージカル」<A COMOMMON BEAT>の発表会があり、バテリアチームの数人が出る関係で、観客となって参加しました。出来は人それぞれに感想を持っているようですが、香港人のヴィッキーやエミー、20代の音大卒の「ひろみん」やシニアの鳥居さんや高村さんなどが一生懸命にひと月以上練習を重ねてきた姿に感動しました。相部屋の人は高校生と大学生の混合学園祭みたいな感じで、途中から中座してしまいましたと連絡をいただきました。ともあれ、コモンビートは56名の参加のもとで行われた、ミュージカルで若者の音感とリズム感には躍動するものを感じました。明日からはバテリア練習に参加してもらえそうです。

2016年3月1日(火)バルパライソ~イースター島へ(3月3日)
 朝から太極拳・ヨガ・サンバ教室、サルサ体操と相変わらず体操を続けていましたが、乗船したころに社交ダンスの習得で一緒だった方から再度、社交ダンスに誘われました。29日から初級のワルツが始まったので、ぜひ参加してほしいとのことでしたので、試しに参加してみました。見よう見まねでステップを練習しましたが、ビデオに撮って練習したほうがよいとのことで、よく日にビデを取ることにしました。コモンビートが終わったのでバテリアチームに大勢の方が、来るかと思いましたが、でコモンビートの終了コンパや集合写真撮影などとまだ後始末関係で参加できないようでした。しかし、楽器の持ち場を決めようとのことで、私は、大きな太鼓(スルド)を希望しました。音感的には若いビッキーやエミーのほうがよいのですが、シニアの方がスルドを希望していることもあって難しい楽器に移ってもらうことにしました。フォークダンスでは「血液型ガタガタ」という曲が大うけしていて、マイムマイムやオクラホマミキサーなどの曲とあわせて、最終発表会で踊るようです。

2016年3月2日(水)バルパライソ~イースター島へ(3月3日)
ついに私が選択している企画が重複するようになってきました。太極拳やヨガはいつものようでしたが、サルサ体操が入ったため?サンバエクササイズがなくなり、サルサ教室とゲットスピーチフェステバルの応援や自主企画の申請手続きが重なり、フォークダンスとバテリア練習が重なり社交ダンスのビデオ撮影が最後になってしまうなど、大忙しの日となってしまいました。明日からはイースター島に到着するために様々な企画は取りやめとなりました。船が沖合に停泊して小型のボート(9人乗り)で上陸とのことで、一度に上陸が出来ないことから3日と4日にかけて上陸することとなりました。私は当初3日の10時ころの上陸予定でしたが翌日の4日に変更となりました。そこで3日の日がまったくフリーとなってしまうため、熊本弁を使う素敵な大阪人のおばさんに羽の動く鶴の織り方を教えてもらいました。一度見ただけでは覚えきらなかったので、折り紙に線を入れて順番を書いていただきました。自分で作ったものと折り紙先生の作ったものを持って、部屋で何度か作りましたが、似たような形にはなりましたが、なんだか違うものが出来上がり翌日に再度お教えを乞うことにしました。

2016年3月3日(木)イースター島(ラパヌイ)
6時のモーニングコーヒーはありましたが、太極拳やヨガ・サンバ教室もすべて中止となっていました。生憎と雨交じりの曇り空で、6時到着予定でしたが島の港の波が高く着岸できないとのことで、数回にわたって錨をおろす場所を変更しましたが、結局昼過ぎに最初の場所に錨をおろしました。本来ならば朝8時ころから上陸する予定でしたが、50名くらいのツアーが上陸し、島から船に来るはずだった子供たちも来られなく交流は中止となりました。私は羽の動く鶴を子供たちにプレゼントしたく折り紙先生に再度お教えを願い、何とか設計図を見なくても作成できるようになり、大急ぎで20数羽の羽の動く鶴を作成したのですが、残念なことにその交流会はなくなってしまいました。また、昨日のフォークダンスとバテリア練習が重なったことで、フォークダンスの途中からバテリアの練習に行ったのですが、その直後に船内ビデオ放送の撮影があったようで、フォークダンスの自主企画は一躍有名になっていました。結局私は登場することなく終わってしまいました。何ともタイミングの悪い一日となってしまいました。さらに3日に上陸する予定だった200名近い人は翌々日(5日)に延期されました。本日に上陸した人も曇り空と、企画の調整不足できちんとした交流はできなかったようです。

2016年3月4日(金)イースター島(ラパヌイ)2日目
 いよいよ私たちの上陸の日となりました。朝から晴れ渡り波も穏やかになり、絶好の観光日和となりました。やはり9人乗りのボートに乗り込み総勢400名近い方々が上陸をしました。上陸地点にもモアイ像はありましたが、日本の土建業者が修復したという15体のモアイ像は迫力のあるものでした。モアイ像の作成の秘密はいまだに解明はされていませんが、酋長のお墓ではないかとの説が優勢です。観光は島を一周するものですが、横25キロ、縦12キロの2等辺三角形のような島ですので、簡単に回ることが出来るのですが、島の中に作りかけを含めて1000以上のモアイが確認されたようです。さらに鳥人伝説というのがあって、絶壁を300メートルほど降りてその海岸から1.5キロメートル離れた島に背黒アジサシの卵を取りに行って、また引き返して崖をよじ登りスタート地点に帰ってくると、そのご褒美として酋長候補となりさらに色白の女性と結婚できるというものでした。私には到底無理な注文で、バンジージャンプでさえ嫌なのに最初からご辞退申し上げたいものでした。天候にも恵まれ本物のモアイ像をまじかに見ることが出来ました。とても素晴らしい一日となりました。




2016年3月5日(土)イースター島(ラパヌイ)3日目
 昨日に引き続きよい天候に恵まれました。寄港日なので全ての行事はなくなっていましたが、急きょラパヌイの子供たちとの交流やキュウバンサルサのレッスンなど船内放送で案内が始まり、行われることとなりました。初日に上陸できなかった人に加え初日に観光した人たちも再上陸することが出来、皆さんは大満足の様子でした。子供たちの交流ではその場で羽の動く鶴を作り、数名の子供に作り方を含めプレゼントできました。また、サラサも新たなステップをマスターしました。最後には、ピースボートの船ごと島を約半周してモアイ像を海側から見ることが出来ました。日没が夕刻20:46分とのことでできるサービスのようでした。船の客員は残り少なくなった寄港地の数を数え名残惜しむかのようにイースター島を見ていました。結構充実した一日となりました。


2016年3月6日(日)イースター島~タヒチに向けて
前日の夕刻にラパヌイを出港してタヒチのパテーテ島に向かっています。朝から通常の太極拳・ヨガストレッチの合間に、楽器練習時間が増えてきました。800930の間に約一時間ほどスルドとドラムの合わせを行っています。朝3時ころに起きて日本の我が家と連絡を取ろうとしましたが、WI・FIの電波が弱く連絡が取れませんでした。日本との時差は15時間となってきたので、日本の午後8:00に連絡を取ろうとすると朝の4時ころに連絡を入れる必要が出てきました。このところ毎日のように、時間調整が始まりタヒチに着くころには18時間くらい遅くなる感じです。もっと日本に近づいて日付変更線を越えてからは、数時間早い時刻となる予定です。タヒチのパペーテまで7日間の航海となりますが、その間に洋上運動会などが計画されその準備に忙しい日々を送るようです。本日は洋上結婚式や桃の節句と社交ダンスパーティーなどがあり、フォーマルな服装を着ることにしました。久しぶりにネクタイをしました。

2016年3月7日(月)イースター島~タヒチに向けて2
 9日に行われる洋上運動会は、赤・白・黄色・青の4チームに分かれての競技となり各組ごとに団長や会長、応援団長などを作り、10種類程度の競技から出場希望をだし応援の練習や競技の説明が行われました。私は、15日の音楽祭の準備もあり座り玉入れの競技だけにして、ほとんどを応援することにしました。太鼓練習ではCCの安藤歩さんからメトロノームをお借りして、1分間に130のリズムで進めることとしました。おかげで何とかスルドとドラムの音が合うようになってきました。朝の体操からヨガ、サンバ、サルサ、バテリア練習、フォークダンスと分刻みのようなスケジュールとなってきました。夜の900にサンバカーニバルの時踊り部隊「ドリーマーズ」の会合があり是非、まとめ発表会では踊りたいとの希望が出されました。この時間は寝ることにしていましたが、時間調整で1時間ほど遅らせた関係で、朝を遅く起きることにして対応しました。

2016年3月8日(火)イースター島~タヒチに向けて3
 レセプションセンターからWIFIの接続が可能になったとの連絡が入りましたので、さっそく日本の家族と連絡を取ることとしました。朝の4時半にかけて日本の7時半でした。何か日本は暖かく梅が咲き始めているとのことでした。早く起きすぎて寝不足気味でしたが、ヨガ体操、バテリア練習、サルサ練習サンバ練習と10項目のスケジュールを分刻みでこなすこととなりました。初めて、音楽祭の課題曲の「ビバサンバ」の歌い手とバンドグループとバテリアの合同練習が行われました。

2016年3月9日(水)イースター島~タヒチに向けて4
 洋上大運動会当日となりました。私は白チームでしたが、前夜祭での成績の関係で最下位からの出発となりました。白組の団長はうら若き女性でしたが、周りの若者からの応援もあって次第に団結力が高まり総合第2位の成績となりました。朝方は小雨が降るような雰囲気でしたが、次第に天気も持ちかえし、熱気と太陽の暑い日ざしで暑い日となりました。総参加者は650名くらいとの情報でしたが、大半の方が運動会に参加されたものと思われます。久しぶりの運動会を楽しみました。


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